神戸市室内合奏団 定期演奏会(第139回 定期公演) 「ヴィーン古典派からの視座」セレナーデの系譜―18世紀から19世紀まで― |
古くは、夜に野外で恋人を称える音楽であったこの分野に、18世紀、音楽史上最も重要かつ一般的なセレナーデの形が現れる。複数の楽章による大規模な合奏曲で、ディヴェルティメントとも関連性があり、典型的な楽器編成は、木管楽器とヴィオラ、コントラバスなど立って演奏できる楽器が多く用いられ、野外で演奏されるセレナーデの伝統を踏襲したものと言えよう。
この種のもので最も多く傑作を書いたのがモーツァルトであった。大規模なセレナーデは時に交響曲に書き換えられることもあり、その意味では、古典派交響曲の形式とも関連性があったと考えられる。
メンデルスゾーンが12歳から14歳にかけて作曲した『弦楽の為の交響曲』は13曲あり、楽曲形式の練習として書かれたものと思われるが、彼が手本としたモーツァルト、ハイドン、ベートーヴェンの精神に迫り、厳格に取り組んだ姿勢がありありと感じられる仕上がりで、この二年間におけるメンデルスゾーンの音楽的成長の跡には、既にこの少年が並々ならぬ天賦の才の持ち主であることが如実に顕れている。
メンデルスゾーンが師と仰いだ先達のひとりモーツァルトの『セレナータ・ノットゥルナ ニ長調』は、1776年1月の謝肉祭用に書かれたと考えられ、旅を重ねいよいよその才能が大きく開花してゆく20歳の作品である。
バス音の支えという以上の役割を与えられたティンパニが入る編成が、この曲の特別な響きを生み出している。変化に富んだ楽想や音色を組み合わせ、3楽章構成の交響曲のような効果を狙ったのかもしれない。
19世紀になるまでに、セレナーデは機会音楽としての役割とは殆ど無縁になり、純粋に演奏会用の作品へと変化していった。
1815年ザクセン生まれの作曲家ロベルト・フォルクマンは、幼いころから様々な楽器をを学んだが、チェロは彼の最も得意な楽器だったのだろう。セレナーデを3曲書いてそれが評判を呼んだが、第3番にはチェロの独奏が付いていて、第2番、チェロ協奏曲と共に、1933年頃までは度々演奏されていたようだ。
その後も、セレナーデの名曲の系譜はチャイコフスキーやドヴォルジャークを経て20世紀まで引き継がれていった。
ヴォルフ=フェラーリは、今では、『マドンナの宝石』の間奏曲でしか知られない存在だが、当時はイタリア・コミック・オペラの優れた書き手として、モーツァルトと比較されるほどであった。ドイツで成功を収めた彼は、キャリアの最初期と後期に集中して器楽曲を書いた。『セレナーデ変ホ長調』は4楽章構成で、第3楽章にスケルツォを持つ交響的作品となっている。
神戸市室内合奏団 ミュージック・アドヴァイザー:菅野ボッセ美智子