前回、中田喜直(なかだ・よしなお)生誕100年記念コンサートについてつぶやきましたが、コンサートを企画・司会進行した神戸市混声合唱団のソプラノ歌手、西尾薫(にしお・かおる)さんにお話しを聞いて、さらにいろいろなことが分かりました。当日取り上げたのは12歳で作曲した「怪我」ですが、それより2年も早く三木露風(みき・ろふう)の詩「静かな日」に曲を付けたと言いますから、その早熟ぶりに驚かされます。
また、喜直が陸軍飛行学校に入る際、死を覚悟して作曲した「椰子樹下に立ちて」は、彼が戦地に向かった半月後に初演されたそうです。作詞の大木惇夫(おおき・あつお)は、敵前上陸の際、乗っていた船が沈没し九死に一生を得た経験から、この詩を書いたとのことで、死地に赴く喜直の思いつめた気持ちが曲に反映しています。
今回、80年ぶりに復活再演しようと、西尾さんらが楽譜を探したのですが、どこにも見つからず、最終的に中田喜直の資料を管理している音楽出版ハピーエコーにご協力いただき直筆譜のコピーを送ってもらいました。喜直と合唱団のご縁があったればこそですが、その後も四苦八苦の連続。楽譜と言っても、詩の深い意味を考えながら書き進めた喜直の手書き譜です。1音ずつ確認しながらパソコンソフトを使って清書し、合唱団の副指揮者の協力もあり、ようやく仕上げることができたと西尾さんは振り返っています。この曲は西尾さん自身が独唱し、青年喜直の心情を見事に歌い上げました。
それから、この公演ならではのお話しがもう一つ。コンサートのタイトルとなった「歌をください」ですが、喜直は独唱用に作った曲を合唱用にするのを認めなかったそうです。しかし、合唱団らしく混声合唱で歌いたいという西尾さんの思いを幸子(さちこ)夫人にご相談ところ、今回に限りで、と特別に許可を頂き、この演奏会の核になる演目として石若雅弥(いしわか・まさや)さんに編曲をお願いしました。本来ならば合唱版での演奏は最初で最後の予定でしたが、公演をお聴きになり感動された幸子さんから、この合唱団のみ今後も混声合唱版での上演を許可すると、思わぬご褒美を頂戴しました。
「一度しかない人生 ひとつしかない命 大切に育てたい 愛の歌 歌いながら…」
渡辺達生(わたなべ・たつお)の詩が喜直の曲に乗って私たちの心に沁みとおってきます。いじめや虐待で幼い命が失われている今日、一人でも多くの人に届けたい喜直のメッセージです。神戸市混声合唱団の宝物とさせて頂きます。
戦後日本を代表する作曲家の一人、中田喜直(なかだ・よしなお 1923年-2000年)の生誕100年を記念する神戸市混声合唱団のコンサート「歌をください」が先日、長田区文化センター別館のピフレホールで開催されました。中田喜直といえば「夏の思い出」や「ちいさい秋みつけた」など、日本人なら誰でも口ずさめるような名曲を数多く世に送り出した音楽家ですが、創立34年の神戸市混声とも浅からぬご縁があります。同合唱団を運営していた神戸市演奏協会(2016年に当財団と合併)の発足時の理事であり、妻の幸子(さちこ)さんには音楽監督として団員たちを育てて頂きました。
やはり、というべきでしょうか。チケットは完売となり、会場は満席。今回の公演の企画・進行を任されたソプラノの西尾薫(にしお・かおる)さんの努力(横浜市歴史博物館で開催された「生誕百年 中田喜直展」に足を運ぶなど)で、合唱や独唱など、さまざまなスタイルを駆使し、喜直の生涯を歌でたどるステージとなりました。わずか12歳で作曲し、早くから才能を開花させた「怪我」(テノール独唱)は、指を切って動転する子どもを描いた西條八十(さいじょう・やそ)の詩にぴったりのユーモラスな曲となっています。昭和26年(1951年)にNHKラジオで発表された「めだかの学校」(混声合唱)は今も子どもたちに歌い継がれていますね。どれも歌詞の神髄をとらえる天才ならではの感性の賜物です。
童心に帰ったような、やさしい歌が多い喜直ですが、西尾さんが企画の中で強調したのが、戦争で死と向き合わざるを得なかった若き音楽家の悲壮な一面です。東京音楽学校(現・東京芸大)を半年早く卒業して陸軍の軍用機のパイロットになり、出征前に遺作のつもりで書いたといわれる「椰子樹下に立ちて」(ソプラノ独唱)からは、死地へ赴く若者の切ない気持ちがひしひしと伝わってきます。また、ピアニストだった特攻隊員が出撃前に学校のピアノを借りて、ベートーヴェンの「月光」を弾くエピソードを曲にした「あの夏でした」(バリトン独唱)など、世界から戦火が絶えないこの時代だからこそ、光を当てるべき作品の再評価にもつながったのはないでしょうか。
後半では、晩年の名作でコンサートのタイトルでもある「歌をください」を合唱編曲版として初めて披露。最後は、入院中の喜直を見舞った作詞家の江間章子(えま・しょうこ)さんが贈った詩「おやすみなさい 美しい夢をみて」(混声合唱)に喜直が書いたスケッチを元に、お弟子さんが完成させた遺作でステージを静かに締めくくりました。会場には幸子さんにも遠路お越し頂き、聴衆から温かい拍手が贈られました。
中学2年生が会社やお店で「仕事」を体験するトライ・やるウィークの季節がやってきました。当財団でも、今年も神戸市内の17校から約50人の生徒たちが、神戸文化ホールをはじめ、新開地アートひろば、各区の文化センターで元気にトライしています。飲食店などと違って、ホールやセンターって何をしているのか、子どもたちが最初、戸惑うのが文化施設でしょう。しかし、職員から舞台や楽団、教室の役割を教えてもらうにつれ、段々興味が増してくるのも私たちの職場です。さらに、舞台裏の仕事やイベントの経理作業に立ち会い、大量のチラシをそろえるなど、根気のいる作業を手伝っていると、「文化」がどうやって支えられているか実感がわいてきます。
先週、文化ホールでトライした中央区の湊翔南中学校の5人は、神戸市室内管弦楽団のメンバーが市内の小学校に出張演奏するアウトリーチに同行したほか、ステージの仕組みや音響、照明の操作を舞台課の職員に説明してもらい、他では経験できない特殊な世界に興味津々でした。その一方で、銀行に足を運んだり、チラシの挟み込みなど、地味な作業も体験してもらいました。
最後の仕上げに、女子生徒たちが取り組んだのがポスターの制作です。12月23日、24日に大ホールで開催する貞松・浜田バレエ団の「くるみ割り人形と秘密の花園」を、全体のレイアウトや文字の大小、配色をみんなで真剣に考えて作り上げました。タイトルや開催日、場所、バレエであることが一目で分かるように工夫して、クリスマス公演らしくサンタクロースのキャラクターも添えました。かわいらしく、はつらつとしたポスターに、同バレエ団も大喜びです。
このポスターは「くるみ割り」の公演中、ホールのロビーに飾ります。トライやる・ウィークの何よりの成果です。公演当日にお越しのみなさんには、ぜひ、子どもたちの力作をご覧になってください。さらに、もう1枚は湊翔南中学に掲示してもらえるとのことです。
「誰ひとり取り残さない」。国連が定める持続可能な開発目標を意味するSDGsの理念の一つです。人権尊重、教育の均等、ジェンダー平等など、多くの分野で目標達成が求められていますが、文化のジャンルでは「誰ひとり取り残さない」取り組みがどれほど進んでいるのでしょうか。先日、神戸文化ホールのマネージメント講座「演劇による、社会包摂プログラムのつくりかた」を聴講して、まだまだ道遠しとの感慨を抱かずにはいられませんでした。
芸術性を高めるために日々努力を重ねている音楽家や演劇人、舞踊家たちが表現する一期一会のステージは、掛け替えのない世界であり、お客様も一体となったホールの臨場感はその場にいなければ味わえないものです。しかし、そんな体験ができる人はどんな人でしょう。チケットが買える経済的余裕があり、ホールまで来られる健康体で、なおかつ、舞台を見て、演奏やセリフを聴くことができる人たちです。いくつものハードルを越えられる人だけが楽しめるジャンルになっているのではないか、と自己採点せざるを得ません。
マネージメント講座の講師としてお招きした兵庫県立尼崎青少年劇場(ピッコロシアター)の古川知可子(ふるかわ・ちかこ)さんは、同劇場で障がい者のための鑑賞サポート事業を立ち上げたパイオニアで、聴こえない・聴こえづらい人のためのバリアフリー字幕や舞台手話通訳、見えない・見えづらい人のための音声ガイドなどを導入してきました。どれもモデルがあるわけではなく、劇団員たちと試行錯誤しながら利用者のニーズに適応させてきました。字幕はセリフだけでなく、発話者の名前、効果音、音楽など、舞台のすべての音を表現しなければならず、1000枚から1400枚のスライドを作成するとのことです。また、音声ガイドも舞台上の風景、登場人物の表情や動きを進行に合わせてリアルタイムでナレーションしなければなりません。
古川さんは、この鑑賞サポートを提案した時、「ニーズはあるのか」と上司に問われたとのことです。確かに聴覚や視覚に障がいのある人から「ピッコロシアターに行きたい」との希望を寄せられたことは、それまでありませんでした。しかし、古川さんはこう言います。「劇場に行っても見えない、聴こえないことが分かっているのに、行きたいと望む人がいるでしょうか」。昨年のことですが、鑑賞サポートの対象になっていなかったチェーホフの「三人姉妹」の初日2日前、「私は耳が聞こえません。『三人姉妹』を観劇したいのですが、何かサポートはありますか?」とのメールがあったそうです。古川さんらが考えたアイデアは最後列の座席前にセリフ本を置き、スモールライトで照らしながら、団員が劇の進行に合わせて指でセリフを追っていく方法です。そのお客様は千秋楽に来られ、大いに満足して、感動をSNSで発信しています。ニーズは間違いなくあるのです。
同劇場のように障がい者のための鑑賞サポートを本格的に実施しているところはまだわずかとのことです。当財団も障がい者や子どもたちにコンサートなどを楽しんでもらう試みに取り組んではいますが、到底「誰ひとり取り残さない」レベルには達していません。猛省しつつ、知恵を絞っていきます。
神戸文化ホール開館50周年記念事業の第2弾として上演された「緑のテーブル2017」は、21日、舞台を見たすべての人たちに「平和を守るのは誰か」との重い問いを投げかけて幕を下ろしました。ロシアによるウクライナ侵攻の終わりが見えないうえに、パレスチナ・ガザの紛争が勃発し、計り知れない犠牲者が予想される地上戦が目前となっている時点での公演です。事態は91年前、クルト・ヨースが今回の作品の源流となった「緑のテーブル」を創作したナチス政権前夜の状況にますます酷似してきています。
天井のない監獄と言われる塀に囲まれたガザの密集地に容赦なく撃ち込まれるミサイル。がれきと化した廃墟で、死と直面している民衆の映像と、空襲警報を想起させるサイレンがけたたましく鳴り響く中、ダンサーたちが逃げ惑う場面は、まるで鏡の向こうとこちらのように重なって見えます。
権力者たちは、ただ己の主張ばかりに狂奔し、怒って叩いたテーブルは死神の思いのままにされてしまう。この光景に、機能不全に陥って人道危機を救えない国連の現状を連想せずにはいられません。もはや作品は、創作・演出した岡登志子(おか・としこ)さんの手を離れ、人類の愚かさ、醜さを見つめる“神の眼差し”となっています。
しかし、希望は残っています。殺伐としたテーブルが緑に覆われ、国籍や民族、障がいのあるなしを超えて参加した一般市民らがダンサーたちと共に踊り、テーブルを戦争から平和の中心へと変えていきます。それができるのは、権力者ではなく、私たち一人ひとりなのだ、とのメッセージがホール全体を包み込んでいくフィナーレに多くの人が涙しました。
「芸術に国境はありません。戦争はしてはなりません」との「風」=貞松融(さだまつ・とおる)さん=の言葉が紛争の地を吹き抜け、緑のテーブルの周りに平和を希求する踊りの輪ができますように。
楽器もいらない。絵具もいらない。特別な知識や技術を習得する必要もない。筆一本か今ならパソコン一台、あるいは口述でも創作活動はできます。文学という芸術ジャンルは、とにかく入り口の敷居が低い。それなのに、読み手を作中に引き込み、その世界に没入させ、深い余韻を残す作品を書き上げるのは容易ではありません。芥川賞や直木賞が毎回、ノミネート段階から話題になるのは、その困難さも一因です。
しかし、私たちの周囲には、あえて急峻な峰に登ろうとするアマチュア作家たちがいます。会社員だったり、パート勤務だったり、全国に数ある同人誌の作家たちも。その挑戦者たちです。刹那的なSNSの短文発信に比べ、推敲を重ね、しかも読者の目に触れるまでに時間のかかる同人誌は劣勢に立たされています。しかし、仲間の間で歯に衣着せず厳しい批評を交わし、切磋琢磨して表現のレベルを上げていく創作活動の場として、この紙媒体に勝るものはないでしょう。
近畿圏の同人誌を対象に昨年4月から今年3月までに掲載された小説やエッセイを対象にした「神戸エルマール文学賞」の受賞作が発表されました。同賞は今年で17回目ですが、前身の「小島輝正文学賞」、「神戸ナビール文学賞」を引き継いでおり、同人誌に光を当てた文学賞として、全国でも高い評価を得ています。
今回、同賞に選ばれたのは松嶋涼(まつしま・すず)さんの「落下する球体」です。結婚5年目の同い年の夫婦の意識のすれ違いを夫婦双方の視点で語り、破局に向かうリアルな描写は恐怖感さえ覚えます。そして和解への転換も心憎いほど鮮やかです。同人誌に書き始めて7年目ということですが、これからの創作活動が期待されます。
このほか、KDL特別賞には、宮内はと子(みやうち・はとこ)さんの「みわの光」、島京子特別賞には、渡谷邦(わたりだに・くに)さんの「明るいフジコの旅」が選ばれました。どちらも著者の人生体験が生きた秀作です。表彰式は22日、神戸で行われます。3人の受賞の弁をお聴きするのが楽しみです。
受賞作と選評などは「エルマール17」(銀河書店、税込み1760円)に掲載されています。ぜひ、手に取って読んでみてください。
NHKの連続テレビ小説「らんまん」が先月末、好評のうちに幕を閉じました。しかし、神戸の視聴者としては、舞台が東京で終えんを迎えたことに、少し物足りなさを感じておられるのではないでしょうか。主人公の「槙野万太郎」のモデルとなった植物学者、牧野富太郎(まきの・とみたろう)博士は調査研究に没頭するあまり、多額の借金を抱えていましたが、その窮状を救ったのは神戸の篤志家、池長孟(いけなが・はじめ)です。博士の借金を肩代わりしたうえ、膨大な標本を研究する拠点として神戸市兵庫区の会下山に植物研究所を設立しました。後年、2人は仲違いすることになりますが、その間、六甲山や氷ノ山など地元の山々が牧野博士のフィールドワークの対象になり、地域の人々との交流が後世に語り継がれています。
親しくなった人々に直筆の書画を贈り、気さくに記念撮影に応じるなど、天真爛漫な天才らしいエピソードに事欠かきません。そんな神戸での足跡もドラマに入れてほしかったと残念がっているのは私だけではないでしょう。主役の神木隆之介(かみき・りゅうのすけ)さんの演じるシーンが目に浮かぶようです。
そんなことを思っていたら、ドラマの不足を補ってくれる本が出版されました。神戸芸術文化会議のメンバーで作家の野元正(のもと・ただし)さんによる「こうべ文学逍遥 花と川をめぐる風景」です。神戸を舞台にした文学作品と風景を新聞などに連載したものをまとめたもので、“文学歳時記”ともいえる一冊です。野元さんは京都大学農学部卒で造園学が専攻。神戸市職員として、公園緑地の計画、設計に携わってきた植物のプロです。その人が大先輩ともいえる牧野博士に触れるのは当然ともいえ、第1章「名作の舞台と花風景」の最後に博士と神戸のつながりを記しています。
タイトルの「スエコザサ」は、博士の愛妻、壽衛子(すえこ)から取った学術名ですが、番組でも最後の場面でドラマチックに使われていました。浜辺美波(はまべ・みなみ)さん演じる「寿恵子」の愛おしい姿がいまだに脳裏から消えません。タイトルに「スエコザサ」を持ってきたところは、さすが作家であり、植物のプロらしい野元さんのセンスです。
ちなみに池長孟は南蛮美術の収集家で、「聖フランシスコ・ザビエル像」など彼のコレクションは神戸市立博物館に所蔵されています。
「こうべ文学逍遥 花と川をめぐる風景」(神戸新聞総合出版センター、1800円税別)
「幼いころの思い出しかなくても、神戸への思いはひとしおです」。来年3月9日(土)の神戸市室内管弦楽団の定期演奏会(神戸文化ホール大ホール)に、ソリストとして出演するピアニストの三浦謙司(みうら・けんじ)さん(30)の記者懇談会を聴いていて、郷土愛とは何か、とあらためて考えさせられました。
三浦さんは4年前、ピアノの巨匠、アルゲリッチが審査委員長を務めたロン・ティボー・クレスパン国際コンクールで優勝及び3つの特別賞を獲得し、世界から声の掛かる人気演奏家です。神戸市垂水区の出身なのですが、神戸にいたのは小学校4年生まで。その後、単身渡英し、ロンドンの音楽学校でピアノを学んできました。「日本語を話す機会は全くと言っていいほどなかった」という海外暮らしで、神戸どころか日本の思い出さえ希薄になっていたはずです。
しかし、ピアノ一筋の生き方に疑問を感じベルリン芸術大学を1年で退学、自らを見つめ直す地としたのは神戸でした。工場やお菓子の訪問販売など、芸術から完全に離れた仕事をしながらも、胸の内に消えることのない音楽の存在を発見し、ピアニストとして再スタートを切った異色の音楽家でもあります。
現在はベルリンを拠点に演奏活動を行っていますが、ふるさと神戸での演奏は今回が初めて。幼稚園で一緒だったという人からも声が掛かると言い、「神戸の人たちとのつながりを感じています」と、意気込みを語ってくれました。
実は、三浦さんは2020年、帰国中にコロナの渡航制限でドイツに戻れなくなり、ホテルではピアノの練習ができないと困っていた時、臨時閉館中の神戸文化ホールでピアノの練習をしてもらった経緯もあります。「神戸の海が忘れられない」と、神戸愛を語る三浦さん、得意とするラヴェルのピアノ協奏曲ト長調を披露してくれます。
チケットの販売は11月17日(金)からです。
人生100年時代について、もう少しつぶやこうと思います。日本の100歳以上の高齢者は過去最高の9万2000人余りですが、さらにびっくりする統計は100歳以上で働いている人が406人もおられることです。こちらは5年ごとに行われる国勢調査の結果で、3年前の2020年の数字です。2010年が200人でしたから、10年で2倍以上に増えているのです。今年は調査年ではありませんが、もし、調べたとしたら500人を突破しているかもしれません。
都道府県別では東京都が84人と最も多く、ネットで検索すると目黒区で薬局を営む100歳女性をNHKが紹介しています。週6日、店頭に立って薬を処方しているとのことですから、お客さんは薬だけでなく、不老長寿の元気ももらっていることでしょう。さて、気になるのは地元で働く100歳以上です。兵庫県で12人、そのうち神戸市では6人おられます。ここはぜひ、新聞やテレビで、仕事にいそしんでおられる皆さんを取り上げてほしいところです。ひょっとすると、すぐご近所におられるかもしれません。
国勢調査には、家事をしている100歳以上の欄もあり、兵庫県は89人、このうち神戸市は25人おられます。推測にすぎませんが、ご自宅などで身の回りのことをしながら暮らしておられる人が増えてきているのでしょう。私の新聞社時代の元上司(女性)は、94歳の今も自宅で1人暮らし。家事をこなし、日々、新聞、書籍に目を通し、頼まれた会合などに出かけていって活発に発言しています。もう元気な90代は当たり前の世の中になっているのです。
先日、尼崎市のあましんアルカイックホールで見た貞松・浜田バレエ団の「眠れる森の美女」では、呪いの掛かった糸紡ぎの針で100年の眠りに落ちたオーロラ姫が王子によって目覚める物語に酔いしれました。でもまじめに考えてみると、目を覚ました姫はすでに116歳。ありえないはずのおとぎ話の設定に現実の方が着々と近付いてきています。
厚生労働省によると、今年9月時点で100歳以上の日本人は9万2139人。さらに今年度中に100歳を迎える人は4万7000人余りだそうですから、10万人を超えるのももう間近です。1970年から53年連続、記録を更新してきたと言いますから、まさに世界に冠たる長寿国です。
「文化は先回りの福祉」。先日、当財団の職員研修の一環として、講演をお願いしたマリンバ奏者の宮本慶子(みやもと・けいこ)さんが強調された一言です。その言葉に、人生100年時代、私たちの役割は福祉分野にも大きく広がっているのだと気付かされました。兵庫県を中心に演奏活動をしている「神戸マリンバソサエティ」の主宰者で、音楽のみならず文化全般にネットワークを有しておられる宮本さんは、当財団の理事でもあります。今回は、地元文化に精通する立場から、職員を叱咤激励して頂こうと講師を依頼しました。その宮本さんが紹介された1つのエピソードとは。
マリンバの演奏会が終わり、お客様が帰ったホールに1人の高齢女性が戻ってこられました。宮本さんが「どうしたのですか」と尋ねると、手押し車を忘れて帰り、途中で気付いて取りに戻ってきたとのことです。歩行に欠かせない手押し車を忘れるほど、演奏に感動し、助けなしに歩いたお年寄りの満ち足りた表情を見て、宮本さんは音楽が持つ力と、その責任の重大さを痛感したと言います。
人生100年時代とはいえ、体も頭も心も健康でなければ幸福とは言えません。もちろん、医療や介護は必要ですが、高齢者が生きがいを持って充実した日々を送るために、文化は何よりの“先回りの福祉”です。宮本さんの講演に耳を傾けた職員一人一人が、文化芸術の中に福祉の役割をどのように結実させていくか、一緒に知恵を絞って行こうと思います。
前回、100年目に当たる関東大震災について触れましたが、その節目に合わせて出版された「大災害の時代-三大震災から考える」(岩波現代文庫)を著者のひょうご震災記念21世紀研究機構理事長、五百旗頭真(いおきべ・まこと)さんから頂戴しました。この本は2016年に出版された単行本を著者が加筆修正したもので、序文には現代を「大災害の時代」として「首都直下地震や南海トラフ地震だけでなく、地球温暖化に伴う風水害も頻発し、地殻変動と気象異常の双方に起因する大災害を覚悟すべき時代に、われわれが生きているからである」と記しています。
三大震災とは、1923年の「関東大震災」、1995年の「阪神・淡路大震災」、2011年の「東日本大震災」です。五百旗頭さんは神戸大学教授や防衛大学校長、兵庫県立大学理事長などを歴任した日本を代表する政治学者、歴史家のお1人で、複雑な事象の背後まで見通す鋭く的確な分析、論評で知られています。東日本大震災の復興構想会議議長も務められた識者だけに、待望の文庫版出版といえます。ページを繰っていて、この本が地震のメカニズムや防災、減災の視点からだけではなく、政府や自治体、一般市民が災害にどのように翻弄され、立ち向かい、乗り越えてきたのか、徹底的に「人」に焦点を合わせ活写されていることに気付きます。
読み始めて「関東大震災」の中で目にとまったのが「自警団による虐殺」でした。今年、各メディアもこの問題を大きく取り上げ、映画化もされています。一般市民が流言飛語に惑わされて罪もない朝鮮人らを虐殺した事件は、1世紀後の私たちでも暗澹たる気持ちにさせられます。しかし、五百旗頭さんはその悲劇の中でも、警察がいったんは重大な過ちを犯しながらも、すぐに流言をデマとして朝鮮人を保護しようとしたこと。最終的には軍隊が出動して秩序を保ったことなどを当時の資料に基づいて綴っておられ、異常事態の中で不十分ではあっても治安回復の動きがあったことはわずかでも救いになります。
「想像もできない悲劇の極みで情報暗黒に投げ込まれれば、人間はどんな妄想にも陥りうる。さらに、揺れる集団心理を強硬論が包む時、精神の健全さを堅持できる人はどれだけいるだろうか」。世の中の分断が進み、SNSなどでの誹謗中傷が肥大化している今日、五百旗頭さんのこの問に、私たちは「大丈夫です」と自信をもって答えられるでしょうか。
さて後はみなさんで読んで頂くとして、文化芸術が「大災害の時代」に成しうることは何なんでしょう。避難所などでの演奏やワークショップは被災者の心を癒します。その役割が大切ことは言うまでもありません。しかし、まさに100年前に起きたような悲劇を二度と繰り返すことがないように、文化芸術がさらに一歩踏み出して民族や国籍、宗教、習慣、思想の違いを越えた共生社会を育んでいく役割を担わなければならないのではないでしょうか。
その意味も込めて、神戸文化ホール開館50周年記念事業の一環としてナチス時代前夜の反戦バレエをルーツとする「緑のテーブル2017」を10月21日に公演します。国籍や民族の異なる人たちも一緒になって、50人がステージで平和を希求しながら円を描いて踊ります。五百旗頭さんの問いに「大丈夫です」と自信を持って答えたいからです。
「大災害の時代―三大震災から考える」は税別1430円。
今年の9月1日は10万5000人が犠牲になった関東大震災から100年の節目の日でした。日本列島を通過中だった台風(その時点では温帯低気圧)による強風にあおられ、東京など各地で発生した火災が一気に燃え広がり、犠牲者の9割が焼死です。東京生まれの私の父は当時10歳で、大勢の人が避難している現在の墨田区にあった陸軍の被服廠(ひふくしょう)へ向かっていましたが、途中で友達に声を掛けられ、別の場所へ逃げたと言います。その被服廠では、火炎旋風が起こり、38000人が亡くなっています。父は生前、「あの時、友人が声を掛けてくれなかったら、私は間違いなく生きていなかった」と繰り返し語っていました。
28年前の阪神淡路大震災の場合、不幸中の幸いで当時、神戸周辺ではほとんど風は吹いていませんでした。それでも、激震で地下の水道管が破断して水が出ず、兵庫区や長田区を中心に大規模な火災が発生しました。がれきに阻まれ倒壊した家屋から逃げ出せず、炎にのみ込まれた犠牲者も少なくなかっただけに、もし、関東大震災の時のように強風が吹いたいたらと考えると背筋が凍ります。
多くの方々にご利用いただいている神戸文化ホールは震災を乗り越えて開館50年を迎えていますが、災害はいつやってくるか分かりません。いざという時には、市民にとって安全・安心を提供する場所になるよう職員一同心掛けています。今月19日には消火や避難誘導など防災訓練をホール挙げて実施します。
猛暑が続いていますが、8月も残るところわずか。みなさんはどんな夏を過ごされたでしょうか。甲子園球場では、高校球児たちの熱戦が繰り広げられましたが、ここ神戸文化ホールでも8月は“文化の甲子園”で大いに盛り上がりました。前半の7日から4日間は第35回全日本高校・大学ダンスフェスティバル(神戸)が行われ、南は沖縄県、北は宮城県から計145チームが出場し、迫力一杯の群舞で栄冠を競い合いました。そして、後半の18日から3日間は第38回ジャパンステューデントジャズフェスティバルが開催され、初日の中学生の部には14バンド、2日目と3日目の高校の部には2日間で24バンドのビッグバンドが参加しました。こちらも南は鹿児島県、東は愛知県から出場しており、神戸ジャズ100年にふさわしいハイレベルな演奏で訪れた人たちのハートをスイングさせていました。
ダンスであれ、ジャズであれ、長く苦しい練習に耐え、頂点を目指してやってきた若者たちばかりです。出演前の緊張でこわばった表情。受賞のアナウンスに喜びを爆発させるチームがある一方、入賞を逃して泣きじゃくるメンバーたち。そのどれもが二度とめぐり合えない青春の一ページであり、人生の宝物です。社会人になった後も、この経験がきっと役立つことでしょう。
“甲子園”といえば、新開地アートひろばで20日に上演された、高校生のための演劇ワークショップ「Go! Go! High School Project 2023」の「ロミオとジュリエット」もまさに、若者たちの挑戦を肌身で感じられる演劇公演でした。KAVC時代から続いており、今年で15年目を迎えた自主企画、通称ゴーハイですが、兵庫県内を中心に11校から19人の高校生が集まり、7月に3日間、8月に公演を含めて11日間、稽古に打ち込んできました。演出家・ナビゲーターのF.O.ペレイラ宏一朗さんの指導のもと、19人が入れかわり立ちかわり様々な登場人物を演じ分けるというなかなかスリリングなお芝居です。きっと一生忘れられないシェイクスピア劇となったことでしょう。うまく演じられたこと、失敗したこと、悩んだこと、どれもあなたたちの成長の糧となるに違いありません。
当財団を代表して「ありがとう。よく頑張ったね」と感謝とねぎらいの言葉を贈りたいと思います。
8月6日のヒロシマ、9日のナガサキ、15日の終戦記念日。毎年、この時期がめぐってくるたびに、「なぜもっと聞いておかなかったか」との悔いが私の心をチクチクと刺します。他界してすでに18年になる両親は、まさにあの過酷な戦争の時代を生き抜いた世代です。南方戦線で九死に一生を得たとの父の話や毎晩のように空襲警報に追い立てられて防空壕に逃げ込んだとの母の思い出など、断片的な戦時体験を耳にしていましたが、こちらから2人に、あの時代、どんな体験をし、何を思って生きてきたのか、きちんと聞くことは一度もありませんでした。
例えば、中国大陸からインドシナへ従軍した父には、大岡昇平(おおおか・しょうへい)が「レイテ戦記」などで克明に綴った膨大な戦争の記憶があったはずです。東海地方で空襲と艦砲射撃におびえた母は妹尾河童(せのう・かっぱ)の「少年H」と同じように死地をさまよったことでしょう。さらに、母の生まれ故郷の愛知県東部の山村からは県内で唯一、満州開拓団が結成され、多くの村人が二度とふるさとの土を踏むことができませんでした。自分が生まれるわずか6年前のことです。なのにページが抜け落ちた本のようにぽっかり穴が空いているのです。生の証言を聞き逃したことに、自責の念が募るばかりです。
社会学者の大澤真幸(おおさわ・まさち)さんが、新聞への寄稿で、環境問題や人口問題、核戦争など、私たちが直面している深刻な問題は〈未来の他者〉の運命を左右する。日本人がこれらの問題に無関心なのは、〈未来の他者〉の思いに応えたいという意欲に乏しいからである。その原因は、その人たちのおかげで我々の現在がある、〈われわれの死者〉の思いに応えようという気持ちがないからだ―と日本人の「想像力の貧困」を厳しく批判しています。
いくら悔やんでも、もはや両親に戦争体験を聞くことはできません。しかし、〈われわれの死者〉に思いを寄せ、想像力を働かせ、現代から未来へとつないでいくことは私たちの責務でもあります。ささやかな試みではありますが、神戸文化ホールの50周年事業として、5月公演のガラ・コンサートでは神戸出身の作曲家、大澤壽人(おおさわ・ひさと)が戦時下、ひそかに作曲した「ベネディクトゥス幻想曲」を世界初演(演奏会形式)しました。また、10月にはナチス政権下のドイツで生まれた反戦バレエに想を得て創作された「緑のテーブル2017」を上演します。2025年度での公演を構想している西東三鬼著「神戸・続神戸」を題材にした演劇作品は、まさに戦時中の神戸のど真ん中が舞台になっています。ロシアによるウクライナ侵略の終わりが見えず、核の脅威が増すばかりの現代だからこそ、平和を希求するバトンを〈未来の他者〉につないでいきたいのです。
終戦78年目の小さな決意です。
間違いなく前代未聞の演奏会になるでしょう。埖(ゴミ)の星と化した地球で無数の廃棄物から、えもいわれぬ音を奏でる男が現れ、埖に翻弄されている人々ために、廃棄物を打楽器に生まれ変わらせる―こんな近未来世界を描いた坂本日菜(さかもと・ひな)さんの新曲「埖の星から来た男」を廃品打楽器奏者、山口ともさんと鈴木優人(すずき・まさと)さん指揮、神戸市室内管弦楽団が世界初演するのです。空から海までゴミだらけの今の地球環境を考えると極めて深刻な課題を直視するコンサートでもあります。
9月2日に神戸文化ホールで行われる定期演奏会「新世界の扉をたたけ!」で披露されるのですが、先日、ソリストを招いて開かれた記者懇談会も前代未聞でした。従来であれば、ピアノであれ、ヴァイオリンであれ、演奏する楽器を前提に記者が質問するのですが、今回は演奏者自身、当日、どんな“楽器”を使うのか、まだ決めていないのです。
「ガラクタに命を吹き込む」山口ともさん。アイドル歌手のバックバンドの打楽器奏者として活躍していましたが、ゴミ捨て場などで拾った廃材をたたくと面白い音がすると、空き缶や鉄パイプ、プラスチックゴミなど、どんどん集め、いつの間にか廃品打楽器奏者になっていたという異色の音楽家です。懇談会の前に子ども向けに開いたワークショップでも、みんなで飲み終わったペットボトルに砂を入れてマラカスを作り、既成の楽器でなくても音楽が楽しめることを実践。「音階や音程なんか気にしなくていいよ。音を楽しんで」と、サングラスにぜんまいのようなもみあげ、チャップリンの髭というあやしげな風体で、すっかり子どもたちの心をつかんでいました。
その山口さん、記者の質問に答えながら、「個包装のせんべいに入っているプラスチックのトレイを楽団員たちが足で踏んだらガシャガシャ音がするよね」などと、演奏会で使う“楽器”のアイデアを膨らませています。当日は、「埖の星から来た男」を挟んで、神戸出身の一柳慧(いちやなぎ・とし)さんの打楽器奏者が大活躍する当楽団の委嘱曲とドヴォルザークの交響曲9番「新世界より」というプログラムですが、文化ホールの情報誌「ほーるめいと」のインタビュー記事に見逃せない一文が。何とドヴォルザークの曲についても、明かせないと言いながら「皆様に未知のサウンドをお聴きいただきます」と山口さんが語っています。まさに「新世界の扉をたたく」コンサートになること間違いなしです。
当財団に今、2人の学生さんが研修に来ています。2021年、豊岡に開学したばかりの芸術文化観光専門職大学の第1期生たちです。中川千代(なかがわ・ちよ)さんと三浦花音(みうら・かのん)さん。今年2月にも研修に訪れており、神戸出身の中川さんは「もっと神戸市内の文化施設を知りたい」、三浦さんは「子ども向けのイベントを勉強したい」との理由で再度、我が財団への研修を希望したとのことです。
7月22日から8月1日まで、学んでもらうこと、経験してもらうこと、手伝ってもらうことは多岐に渡ります。全授業の3分の1がキャンパスを出ての実務実習という専門職大学ですから、学生たちが将来の仕事に生かせるよう、私たちも研修カリキュラムを組むのに頭をひねります。23日の「こどもコンサート」(神戸文化ホール)では、他のインターン学生たちと一緒に設営から後片付けまで担当してもらいました。0歳児からOKの演奏会を経験して、三浦さんは「親子で楽しめるイベントの裏側にいくつも工夫が凝らされている」、中川さんは「子どもたちに楽器の素晴らしさを伝えるプログラミングになっている」など、それぞれ、得るものがあったようです。
大学では演劇関係の授業が中心なので、どちらも音楽事業は全くの素人。クラシック音楽に詳しいベテラン職員からレクチャーを受けた後、実際に混声合唱団が近く公演するコンサート用に団員分のパート譜を準備するなど、専門作業もやってもらいました。音楽と演劇、ジャンルは異なっても、舞台芸術にかかわる者の責任感の醸成につながってほしいからです。このほか、広く兵庫県内の文化施設も知ってほしいと、姫路に2年前にオープンした文化コンベンションセンター「アクリエひめじ」や高砂市内のライブイベントも行う古民家を改造したユニークな絵本店を訪れ、西宮市のホールにも足を延ばします。それぞれの施設に個性や地域性があることにも気づいてくれるでしょう。
両人とも現在3年生。そろそろ、就職を考える時期です。中川さんは俳優を、三浦さんは演劇の制作会社を目指しています。どちらにしても、狭き門であり、険しい道が待っています。同大学初の卒業生として注目もされていることでしょう。今回の研修が2人の血となり肉となることを切に願っています。
花柳五三輔(はなやぎ・いさすけ)さん、若柳吉金吾(わかやぎ・きちきんご)さん。神戸・兵庫の日本舞踊を牽引してきたお2人が今月相次いで他界されました。ともに76歳。まだまだ主役を張るトップランナーの傍ら、後進の育成に情熱を傾けておられた掛け替えのない舞踊家でした。所属しておられた兵庫県舞踊文化協会では、重鎮として会員たちの信望は厚く、流派を越えて日舞の振興に協力一致できたのはお2人の実力と真摯なお人柄があったればこそです。
数々の名場面が脳裏をめぐりますが、同協会が毎年開催している舞踊の会は、とりわけお2人の個性が際立っていただけに、愛好家の注目を浴びていました。門外漢の私でも吉金吾さんの清元「保名(やすな)」(2008年3月「名流舞踊の会」)や五三輔さんが構成、振付、出演した新邦楽「日本の叙情(うた)-月・雪・花-」(2009年8月「ひょうご日本舞踊の祭典」)は今も忘れられない舞台です。
安部保名が恋人の死を嘆き悲しんで、春の野辺をさまよい歩く。その狂乱の姿を典雅に演じ、哀愁に満ちながら甘味な雰囲気をかもし出す吉金吾さんならではの凄絶な舞に、雷に打たれたような衝撃を受けたことをきのうのように覚えています。一方、18人もの踊り手が華麗に舞う大がかりな「日本の叙情」は共に振付、出演した藤間莉佳子(ふじま・りかこ)さんと息を合わせ、群舞の魅力を見事に演出し、五三輔さんの美学が隅々にまで反映した作品でした。お2人が神戸市文化賞を受賞されたのもこのころです。
思い出されるのは、昨年暮れ、花柳知香之祥(はなやぎ・ちかのしょう)さんが神戸文化ホールで舞踊リサイタルを開催した際、師匠の五三輔さんと共演した「峠の万歳」です。正月に家々を回って門付け芸で稼いだ太夫(五三輔)と才蔵(知香之祥)が峠で別れるシーンが、私が見た最後の舞台となりました。何度も振り返っては別れを惜しむ太夫の姿が今も脳裏に焼き付いています。その五三輔さんの後を追うように吉金吾さんも峠を越えて行かれました。お2人が去った空白は大きすぎます。ただただ、ご冥福をお祈りするばかりです。
私の生まれは昭和26年、西暦では1951年、ちょうど20世紀の後半が始まった年です。令和の今、「昭和」は20世紀とともにノスタルジックに語られる時代へと遠ざかりつつありますが、私の少年時代と重なる昭和30年代、40年代は、高度経済成長のうねりの中で昔ながらの風景や文化が消えていった変革の時代でもあります。
先般、二科会写真部の元理事長で神戸芸術文化会議の常任委員でもある森井禎紹(もりい・ていじ)さんによる「我が昭和の写跡」と題した写真集が発刊されました。森井さんは「日本の祭り」をライフワークにするカメラマンですが、コロナ禍で撮影ができず、フィルム置き場にためていた昭和39年から60年ごろまでの5000本近い白黒フィルムを吟味して今回の写真集にまとめたとのことです。そのワンショット、ワンショットがもう二度と見ることのできない当時の光景であり、昭和の貴重な記録です。
森井さんが撮影を始めた時、私は13歳。場所こそ違え、まさに被写体の子どもたちと同年代です。写真集を手にした途端、表紙の作品からいきなり半世紀以上前の少年時代にタイムスリップしてしまいました。漁村でしょうか、ステテコに腹巻、首に手ぬぐいを巻いたおじさんが釣った魚をぶら下げて歩いています。手前には真っ黒に日焼けした男の子たち。頭はみな坊ちゃん刈りか丸坊主です。ページをめくると耕運機に引かれた荷台の上にお母さんと幼い3姉妹。お母さんは髪型も服装もサザエさんそっくりで女の子たちはさしずめワカメちゃんです。白衣に軍帽姿の傷病兵が戦争のにおいを残しているかと思えば、昼休みにエレキギターでロカビリーに興じる工員さんたちのまぶしい笑顔。カメラの向こうで新旧の時代の流れが激しくぶつかり合っています。
昭和40年代に入ると、当時、憧れだった「団地」が登場します。私が家族と暮らした神戸と明石にまたがる明舞団地も広場で剣道の合同練習をするなど、はつらつとした空気に包まれています。老朽化と住民の高齢化に直面する現状が想像もできない“青春期”のシーンです。
最後まで見終わって、今と最も違うのは何か。それは子どもたちの数です。多くのショットの中に子どもたちがあふれており、屋外で無邪気に遊んでいます。写真集が発するエネルギーは次代を担う少年少女たちのパワーにあることを痛感します。昭和の風景は戻らなくとも、子どもたちの笑顔と歓声は失いたくない。写真集を閉じての偽らざる心境です。
書店では扱っておらず、購入希望の際は森井禎紹写真事務所(TEL/FAX079-568-0622)に申し込んでください。A4サイズ、183ページ、5000円(税込み、送料別)
今月から新開地アートひろばで始まる「新開地おばけひろば」。さて、どんなおばけと出会えるのか、恐ろしいながらも興味しんしんです。幼いころ、こわごわ入った縁日のおばけ屋敷で、暗やみからぬっと出てきたろくろ首に悲鳴を上げたことや、ホラー映画を見た夜、怖くてトイレに行けなかった気恥ずかしい経験は私ばかりではないでしょう。見るのはこわい。でも、のぞいてみたいおばけたちが7月15日から9月3日まで、新開地アートひろばに集結します。
まずは、黒地に白いおばけたちが遊んでいる「新開地おばけひろば」のチラシを手に取ってください。イベントごとに“怖さ指標”を示すおばけマークが付いています。例えば、閻魔様の前で、裁きを待つ亡者になって死後の世界を体験する「地獄極楽 妖怪ショー!!」(8月24日)や、今までのおばけやしきのイメージを覆す「ニューおばけやしき」(7月22日~8月27日)はマークが3つでちょっと怖そう。一方、おばけをテーマにした落語を楽しむ納涼寄席(7月29日、8月12日、19日)や「ゲゲゲの鬼太郎」でおなじみの「一反(いったん)もめん」にいろんなカタチをシルクスクリーンで刷るワークショップ(7月26日~28日)はマーク1つです。もっと怖い体験をしたいという子どもたちにはマーク4つの「早朝!!きもだめし」(8月13日)もありますよ。
私としてはマーク2つの大人向け講座「おばけ屋敷の歴史と文化」(8月5日)に心ひかれます。おばけ屋敷は江戸時代が終わるころに始まったということで、意外に新しいのです。歴史の中でおばけがどう民衆に受け入れられていったか、兵庫県立歴史博物館学芸課長の香川雅信さんが解説してくれます。香川さんは妖怪に関する著書を数多く出しておられるおばけのエキスパートで、この講座を聴けばおばけの知識が増えること間違いなし。地下に設けた「おばけ図書コーナー」もお忘れなく。
さあ、開幕イベントはアートひろば1階の大きな窓ガラスにみんなでいろんなおばけの絵を描くワークショップ(7月15日)です。描いたおばけを消すクロージングの9月3日まで、館内はおばけだらけになりますよ。
「新開地おばけひろば」の詳細は下記HPをご覧下さい。
https://s-ah.jp/events/2023-06-01-01
子どもたちは正直です。つまらなさそうにしていても、興味を引かれると一転して目を輝かせ、その世界へ飛び込んでいく。大人のような照れもなく、面白ければ面白いほどリアクションも大きい。反面、心をつかめないとそっぽを向かれてしまう。1500人近い家族連れなどのお客様でにぎわった神戸文化ホールを丸ごと楽しむウエルカムジャンボリー2023「コブホであそぼ!」(6月17日)は、子どもたちがどんなものに関心を持ち、夢中になるのか、その心理を実践的に学び、今後に生かす絶好の機会でもありました。
中でも、東京パラリンピックの開会式にも登場したマイム俳優、いいむろなおきさんによるワークショップでは、子どもたちが一瞬にして魔法にかけられるところに立ち会うことができました。右手で見えないボールを頭上に投げ、左手で受けるしぐさをする。続いて、そこに壁があるかのように両方の手のひらを顔の前にかざす。すべて想像ですが、いいむろさんが「投げたボールを目で追って」、「壁を押しているような表情で」とアドバイスすると、みんな、真剣にやっている気持ちになりきってしまうのです。
このほか、子どもたちの心をつかむ仕掛けが随所に。「ブレーメンの音楽隊」の絵本をスクリーンで見ながら金管アンサンブルを聴くステージでは、アニメ「ONE PIECE」のナミ役などの人気声優、岡村明美さんに朗読を担当してもらいました。耳からも関心を高める試みです。また、文化ホール舞台課の労作「どうなってるの?舞台裏」では、舞台設備や音響、照明の機器を童話風に紹介した後、子どもたちにはステージ天井から降らせる“雪”の下に立ってもらいました。
どれも試行錯誤ですが、子どものころに文化ホールで楽しんだ思い出が大きくなってからホールに足を運んでもらえるきっかけとなるように、スタッフたちはさまざまな企画を考えています。神戸文化ホールをこれからもご愛顧ください。
「バッハは最も高い山 モーツァルトは最も美しい山」
昨年亡くなられたフルーティストで東京芸大名誉教授の金昌国(きん・しょうこく)先生の追悼演奏会が先日、東京の紀尾井ホールでありました。先生は42年前、ふるさと神戸で産声を上げたばかりのフルートコンクールを一気に「世界三大フルートコンクールの一つ」と評されるまでに引き上げた功労者です。どうして、それまでフルートと縁のなかった神戸のコンクールが世界のトップランクに躍り出ることができたのか不思議でしたが、今回の演奏会に出席して、図らずもそんな偉業が成し遂げられた理由を垣間見ることができた思いです。
先生はスイス留学中にジュネーブ国際音楽コンクールでトップ入賞するなど若くして才能を発揮。海外の名門オーケストラの首席奏者を務める一方、ソリストとして世界的に活躍した日本フルート界の第一人者でした。私も高校時代、ラジオの音楽番組で先生の演奏に耳を傾けた1人です。また、東京芸大などで数多くのフルーティストを育て上げた名指導者でもあります。
この日のコンサートでは、タイトルになった先生の座右の銘の言葉通り、バッハとモーツァルトを中心に、かつての教え子や友人らが演奏を披露しました。第6回の神戸コンクールで日本人として初めて第1位に輝いたフィンランド放送交響楽団の首席奏者、小山裕幾さんや元ハノーファー、シュツットガルト音大教授でオーボエ奏者のインゴ・ゴリツキさんら、多忙なスケジュールを縫って海外から駆け付けた人も少なくなく、まさに先生の人望あればこそのラインナップです。
神戸のコンクールで、当時、世界で最も人気のあったフルーティスト、ジャン=ピエール・ランパルを1回目、そのランパルと双璧をなす活躍を見せたオーレル・ニコレを3回目から6回目まで審査員として神戸に呼び寄せたのは、まさしく先生の音楽家としての芸術性の高さとお人柄によるものです。先生の晩年、食事を共にしたり、ご自宅をお訪ねした際、私に対しても優しく謙虚に接して下さったお姿は今も脳裏にあざやかによみがえります。
追悼演奏会を主催した息子さんの青山聖樹さん(オーボエ奏者)は、しみじみと「父は神戸のコンクールをライフワークと言っていました」と述懐されていました。演奏会の収益金も当コンクールに寄付していただきます。逝去されてなお、ご支援いただいていることに感謝の言葉もありません。演奏後、教え子たちに抱かれた先生と先生の後を追うように旅立たれた美智子夫人の遺影に向かって、あらためて、ご冥福をお祈りしました。
六甲アイランドに記念美術館がある小磯良平や異人館の画家として有名な小松益喜ら、神戸は国際都市だけに、洋画家のイメージが強いようです。しかし、前回、紹介した橋本関雪のような日本画の大家を少なからず輩出していることも忘れてはならないでしょう。中でも関雪の5歳下で、彼の生誕地(神戸文化ホールの所在地)から歩いて10分足らずの花隈で育った村上華岳は、その筆頭です。生まれは大阪ですが、幼くして叔母の嫁ぎ先に引き取られ、神戸尋常小学校に通っています。
京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学)での卒業制作が文展(日展の前身)で注目されるなど、早くから日本画のホープとして期待されていました。同窓生たちと新たな絵画の創造を目指して立ち上げた「国画創作協会」は、近代日本画革新運動として美術史上に残る偉業です。関雪同様、旧弊に甘んじることをよしとしないリベラルな精神には神戸の気風を感じます。
晩年の華岳は宗教者にも似た境地にたどり着いています。持病の喘息の悪化で、39歳で花隈の旧居に戻り、51歳の若さで他界するまで、病と闘いながら描き続けた仏画などは「妖艶さと聖性、官能美と悟りの境地という相反する要素が不思議に調和している」と評され、今も熱烈な華岳ファンを獲得し続けています。美術コレクターとして知られる梶川芳友さんは、華岳の「太子樹下禅那」の魅力に取りつかれ、華岳のためともいえる美術館「何必館(かひつかん)・京都現代美術館」を京都・祇園に建てたほどです。
随分、昔になりますが、兵庫県立美術館の内覧会でお会いしたご高齢の女性が懐かし気に「小学校からの帰り道、近所の花隈を通ると、窓辺に華岳さんがたたずんでおられました」と話しておられました。歴史上の大画伯が随分身近に感じられると同時に、検番もあり芸者衆が行き交う花街だった花隈だからこそ、「官能美と悟りの境地が調和する」絵が描けたのでは、と想像をたくましくしたものです。
現役では、全国の一の宮神社を精力的に描いておられる西田眞人(にしだ・まさと)画伯も神戸を代表する日本画家のお一人です。
今年、生誕140周年となる神戸出身の日本画家、橋本関雪の大規模な回顧展が京都の福田美術館など3館で共同開催されています。古事に題材を得た歴史画や山水画、花鳥画、美人画などで遺憾なく才能を発揮した京都画壇の巨匠で、「動物を描けば、その体臭まで描く」と評された早熟な天才画家です。先日、日本庭園で知られる島根県の足立美術館で、艶やかな毛並みの「唐犬図」や夕闇に浮かび上がる白狐を描いた「夏夕」など、画伯の動物画を目にしましたが、その評判が誇張でないことを実感しました。
しかし、“灯台もと暗し”とはこのこと。画伯生誕の地がこの神戸文化ホールの所在地そのものだったとは、恥ずかしながらそれまで知りませんでした。お生まれになったのは1883年(明治16年)ですから、当時、神戸市はまだなく、矢田部郡坂本村です。神戸港が開港して16年、すぐ近くに創建されて11年目の湊川神社はあったものの、当時の記録から察するに、田んぼが広がる農村地帯だったことでしょう。
大画伯の生誕の地だから、何か記念すべきものがあるのではと頭をめぐらせ、ピンと来たのがホールに隣接する大倉山公園の入り口に立つ大きな石碑でした。行ってみると、やはり「橋本関雪先生の碑」、今ごろ気付くとは赤面の至りです。画伯の生涯を漢文で記した末尾に昭和52年(1977年)とありますから、文化ホールが開館してから4年後に建立されおり、長らくお隣同士の間柄です。碑の側面には「遊於藝」との大きな揮毫があります。論語の一文で「学問武芸を悠々と楽しみながら学ぶことが君子の楽しみ」といった意味だそうです。
40代にして帝国美術院会員に選出されながら、国の改革案に反旗を翻して横山大観らと退会するなど、芸術の自立を守ろうとした独立不羈の精神にはミナト神戸の開明性が反映していたのでは、と個人的に思っています。まさに画伯の生き方を象徴する揮毫です。
回顧展は7月3日まで。会場は福田美術館、白沙村荘関雪記念館、嵯峨嵐山文華館です。
今回も神戸文化ホールの情報誌「ほーるめいと」なのですが、今年開館50周年を迎えた文化ホールを振り返る時、これほど、役立つ“歴史的資料”はありません。「ほーるめいと」は開館3年後の1976年10月の創刊で、当初は毎月発行、その後、隔月となって現在509号に至っています。開館からの3年間は「神戸文化ホール催物ごあんない」とのタイトルで発行されていました。
縮刷版にはそちらも綴じ込まれており、例えば、開館2カ月後の1973年12月号には「ワイドワイドジャズ」と銘打ってジャズフェスティバルの予告が載っています。今年は日本で初めてプロによるジャズの演奏が神戸で行われて100年となりますが、ちょうど半世紀前に、日野皓正クインテットや渡辺貞夫カルテットら超一流の演奏家たちが“神戸ジャズ50年”を盛り上げてくれていたのです。また、今でも文化ホールの人気演目、「東西落語名人選」が開館翌年から幕を開けていたことも“発見”です。初回の予告には、五代目柳家小さん師匠、六代目笑福亭松鶴師匠、三代目桂米朝師匠ら、今では懐かしい顔ぶれが写真入りで紹介されています。
時代は下って1977年には、声楽家の井上和世さんがフランス留学から帰国して文化ホールで初のリサイタルを開催し、得意のフランス歌曲を披露することや、ヨーロッパでの短期留学を終えた貞松・浜田バレエ団が現地のバレエ学校で学んだことを2回に渡って報告するなど、単なる公演予告から神戸の文化情報誌の役割も担うようになっています。寄稿欄も面白く、1981年9月号のコラム「幕間」には、マリンバ奏者の宮本慶子さんが「なぜ神戸?」と題して、「南米産のマリンバやサンバが違和感なく受け入れられる。私はそういう神戸がとても好き」と、軽妙洒脱に綴っています。
文化ホールの50年に及ぶイベントを紹介してきた「ほーるめいと」ですが、その時々の神戸の文化芸術を多彩に記録してきた“生きた神戸文化史”の側面はとても貴重です。文化ホールを運営するだけでなく、神戸の文化の発展向上を目的とする財団として何よりの教科書でもあります。先人たちの歩みを、これからの50年に生かしていきます。
手前みそになりますが、神戸文化ホールの情報誌「ほーるめいと」の最新号(6・7月)が見どころ満載で子どもから大人まで満足できるイベントが紹介されています。駅や文化施設などで目にしたら、ぜひ手に取ってページを開いてください。単なるイベント情報誌とは一味も二味も違います。今回は「神戸文化ホールへGo!Go!」と銘打って、子どもたち大歓迎の特集です。外の公園も含めてホールを丸ごと使ったウエルカムジャンボリー2023「コブホであそぼ!」(6月17日)や年齢や障がいを越えて楽しめる、こどもコンサート「不思議な森への大遠足」(7月23日)などをビジュアル中心に分かりやすく紹介しています。
どちらも0歳児から来場でき、「コブホであそぼ!」では絵本と音楽と朗読でみんなが知っている「ブレーメンの音楽隊」の世界へいざないます。ハラハラドキドキした後は日ごろのぞいたことのないステージの秘密を舞台スタッフが紹介します。ホールを飛び出した公園では音楽に合わせたパフォーマンスショーを見たり、カレーやお菓子が食べられます。リハーサル室では2年前の東京パラリンピックの開会式に出演した、いいむろなおきさんによるパントマイムのワークショップ(すでに定員に達しています)もあります。
こどもコンサート「不思議な森への大遠足」では神戸市室内管弦楽団、混声合唱団の演奏中、動いても音を出してもOK。出入りしやすいようにホール内は暗くしません。ロビーにはマットを敷いてあり、お昼寝もどうぞ。授乳・おむつ替えスペースもあります。目の不自由な方のために点字プログラムも用意します。また、この日を目標にした初心者向けの小学生による即興合奏団のワークショップにも挑戦します。プロの演奏家が優しく指導しますから、音楽や楽器に興味のある子どもたち、ふるって参加してください。
このほか8月以降の催しも新開地アートひろばや文化センターも含めて紹介しています。楽しい情報が詰まった「ほーるめいと」、これからもご愛読ください。
先日、運転免許の更新に先立って高齢者講習を受けました。70歳以上に義務付けられているそうで初めての経験です。車に乗っての実技講習はパスしましたが、前を向いている時に両サイドがどれだけ見えているかを測る視野テストや、こちらに向かってくる円のどこが切れているか、瞬時にボタンを押す動体視力テストでは、年齢相応の結果が出て、普段意識していない「老い」を実感する講習でした。高齢者の事故が多発していることを考えれば、「もう若くない」との自覚が大切なことも分かります。
しかし、その数日後、神戸文化ホールで劇団「無名塾」の公演「バリモア」を見て、主人公の姿に「まだまだふけ込むには早すぎる」と喝を入れられました。落ちぶれた老優バリモアを演じるのは昨年12月に90歳になった仲代達矢さん。舞台袖から合いの手を入れる脇役はいるものの休憩を挟んでほぼ2時間、独白を続け、時に歌ってステップを踏むほぼ一人芝居です。81歳の時に初演したとのことですが、年齢とともにすっかりはまり役になっています。
長寿国日本ですから90歳以上は260万人を超しています。それでも仲代さんほどの体力と認知力、そして役者魂には頭が下がります。舞台を見終わって、彼の初演時にも遠く及ばない年齢で、しょぼくれていた自分が恥ずかしくなりました。安全運転をこれまで以上に心がけることは当然ですが、これからもやれることをやっていかなければ、と背筋が伸びました。ちなみに文化ホール50周年記念事業の一つ、「緑のテーブル2017」に出演する貞松・浜田バレエ団代表の貞松融さんも90歳です。
14世紀ごろ発明され18世紀までヨーロッパで広く使われた鍵盤楽器、クラヴィコードの製作者で奏者の内田輝(うちだ・あきら)さんによる演奏会が9日、西区の西神中央ホールで開かれました。内田さんは神戸出身の俳優でダンサーの森山未來(もりやま・みらい)さんがメインキュレーターを務める「KOBE Re: Public Art Project」の公演で音楽を担当し、住友倉庫を会場にしたパフォーマンスで独自の音楽世界を創造したアーティストです。
この日は同ホール内のスタジオに手作りのクラヴィコード2台を並べ、雨のしずくなどを連想させるオリジナル曲を披露し、静寂の彼方から響いてくる音の美しさをたっぷりと聴かせてくれました。クラヴィコードは手で持ち運べるほどの大きさで、ミニチュアのピアノのようです。それだけに合わせて演奏したピアノの音量の30分の1程度。ささやき声のような弱音です。ホールでの生演奏は不可能で、楽器の前の客席はわずか10脚。手の届く範囲でしか聴き取れない音楽に耳をそばだてました。
1台は改修工事をした京都の清水寺からもらい受けたという古いヒノキを使っています。内田さんはそのクラヴィコードで中世ヨーロッパの修道僧が歌ったグレゴリオ聖歌をモチーフにしたオリジナル曲を演奏、東西の宗教の融合に挑んだようにも感じます。
そういえば昨年秋、200年前のピアノフォルテを使ってショパンの曲を演奏した神戸市室内管弦楽団の定期演奏会を思い出します。音の小さな古楽器に耳を澄ますことで、暗闇に目が慣れてくると、次第に情景が見えてくるのに似た経験がありました。この日の演奏会も現代の楽器が表現できない“弱音の美”を21世紀によみがえらせる挑戦とも取れるでしょう。森山さんが過去と現在を結びつける神戸のプロジェクトに内田さんを起用した狙いが分かったような気がします。
ゴールデンウイーク初日の4月29日、神戸松蔭女子学院大学(灘区)のチャペルでパイプオルガンのリサイタルを聴きました。奏者はこのチャペルで長年演奏会を開いているバッハ・コレギウム・ジャパンの創設者で名オルガニストでもある鈴木雅明さん。キリストの受難を濁った和音で表現するなど、複雑な技法を駆使したバッハのオルガン曲を奏で、聴衆を魅了しました。
このパイプオルガンですが40年前にお椀を伏せたようなチャペルに設置されたフランス・クラシック・タイプで、中規模ですが18世紀の音色を再現しているとされています。ヨーロッパの約90の教会のパイプオルガンの音響を測定して残響を調整したと、同大学のホームページに紹介されており、鈴木さんのほか、世界の名だたるオルガニストたちが演奏しています。礼拝やコンサートで使われているほか、公開レッスンやワークショップなども行われており、興味のある人はのぞいてみてはいかがでしょう。
神戸港が開港して以来、外国文化の窓口となった都市だけに、教会やミッション系の学校が多いのが神戸の特色の一つです。そして、礼拝堂には少なからずパイプオルガンが設置されています。神戸栄光教会(中央区)のオルガンも歴史的技法に基づいて建造されたものでバロックからロマン派音楽に至るまで幅広く演奏できるとあって、海外のオルガニストによるリサイタルも開かれています。
音楽ホールとは違って、神への祈りのために設けられている神戸のパイプオルガン。宗派などによって音色に求める思考も異なるだけに、それぞれのオリジナリティーを感じることができます。聴き比べることができれば、まちの奥行きの発見につながるのではないでしょうか。市内のパイプオルガン探訪、やってみたいですね。鈴木さんの演奏を聴き終わって、そんなことを夢想していました。
唐十郎(から・じゅうろう)さんの「紅(あか)テント」が今年も湊川公園にやってきました。おなじみの大型テントは立ち上がっており、28日からの公演を待つばかりです。今回の演目は1990年に東京・目黒不動尊の境内で初演された「透明人間」で、唐さんと座長代行の久保井研(くぼい・けん)さんの共同演出です。唐さんのオリジナル作品ですが、感染症の恐怖に人々がパニックに陥るという設定は、コロナ禍を経験した今、より舞台がリアルに感じられることでしょう。
「紅テント」と言えば、1967年8月に新宿・花園神社境内でテント興行したことで世間を驚かせ、演劇史上の“一大事件”となりました。その神社を追い出され、新宿中央公園では機動隊に強制排除されるなど、アングラ演劇の旗手として若者たちの人気を誇ってきました。ベテラン俳優の小林薫(こばやし・かおる)さんも、このテントから輩出された一人です。
その後も、空き地や公園、寺社の境内など劇場の枠に縛られず、自由に演劇空間を創造するテント興行のスタイルを貫いており、全国各地で公演しています。しかし、悩みは常に場所探し。今回も神戸のほか各会場も河川敷や公園、神社の境内ですが、規制が年々厳しくなり、劇団によると、これまで公演していた場所が使えなくなっているところが少なからずあるとのことです。
神戸公演は2021年の「ビニールの城」以来3年連続ですが、関西でも使用許可を得ることが年々難しくなり、当財団に問い合わせがあったのがきっかけで、湊川公園にテントを張ることになりました。おそらく、「紅テント」が自治体の外郭である公益財団法人と「共催」するような公演は極めて珍しいのではないでしょうか。公園内にはトイレがあり、隣接する真新しい兵庫区役所も1階のトイレを開放してくれています。舞台の背後を開ければ新開地のまち並みが広がっています。劇団も「上演場所としては一等地」と太鼓判を押しています。
神戸公演は28日、29日、30日の3日間いずれも午後7時開演です。
どうして神戸出身の作曲家、大澤壽人(おおさわ・ひさと)が、これほど無名だったのか、日本の近現代音楽の再評価に取り組む慶応義塾大学教授の片山杜秀(かたやま・もりひで)さんの講演会(4月16日、中央区文化センター)を聴いて、戦前・戦中の日本の作曲家の大作は総じて冷遇されており、中でも大澤の作品は不当に扱われてきた、との事実を知りました。
神戸文化ホール開館50周年記念事業の口火を切るガラ・コンサート(5月19日)では、メインプログラムとして大澤の「ベネディクトゥス幻想曲」を演奏します。戦時下で秘かに書かれた傑作ですが、戦後、ラジオで流れただけで、演奏会としては世界初演です。音楽史に残るエポックなのですが、没後70年の初演とはあまりに時が経ちすぎています。戦前、欧米で交響曲や協奏曲などを次々と発表し、指揮者としても人気を博した大澤の栄光は日本に持ち帰られることなく忘れ去られてしまったのです。再び光が当たり始めたのは2000年7月に片山さんと当時、音楽担当記者だった神戸新聞文化財団の藤本賢市(ふじもと・けんいち)さんがご遺族宅に保存されていた膨大な大澤の直筆譜を“発見”して以来です。
片山さんはマイルドな口調ながら「あの山田耕筰(やまだ・こうさく)でさえ、交響曲などの楽譜は出版されていないのです」と先人たちの業績を大切にしない日本の音楽界を厳しく批判しています。作品ではありませんが、コロナ禍の3年、多くのホールが予定していた海外の指揮者や演奏家をやむなく日本人に切り替えました。そこで図らずも私たちは日本人アーティストのレベルの高さに気づかされたのです。クラシック音楽に限らず文化芸術の欧米偏重意識からそろそろ脱却してもいいのではないでしょうか。今回のガラ・コンサート「神戸から未来へ」が、日本人作曲家の再評価の幕開けとして音楽史に記録されることを願ってやみません。
このところ話題になっている人工知能(AI)を使った対話型ソフト「チャットGPT」。入力した質問に巧みな文章で答えてくれると言いますから、身辺雑記のような私の「つぶやき」など朝飯前でしょう。そんな低レベルの次元ではなく、学術の進化に欠かせない研究論文の作成にも利用可能とあって、各大学が対応に苦慮しているそうです。
その対話型ソフトが普及してくると、仕事の効率が飛躍的に高まるでしょうし、先生がいなくてもテストで良い点数を取るのも夢ではありません。逆にAIまかせになって自分で考えなくなり、思考力が低下する恐れがあると警鐘を鳴らす専門家もいます。
さて、遠い未来の話かもしれませんが、この技術革新が文化芸術にどんな影響を及ぼすでしょう。文化芸術には無縁のまったく別世界のことなのか、はたまた文化芸術の形ががらりと変わってしまうのか。タイムマシンがあればのぞいてみたいところです。作文にたけているそうですから、芥川賞や直木賞を取ったベストセラー小説の作者が対話型ソフトだったなんてこと、ないとは言えません。
その点、舞台芸術(音楽や演劇、舞踊など)は、AIからすれば攻めにくい最後の砦となるかもしれません。でも楽観は禁物。音響や照明、台本、演出など、四方八方からじわじわと私たち人間の仕事を飲み込んでいくことだって予想されます。
その時になって、慌てても手遅れです。今、対話型ソフトの話題を対岸の火事のように傍観しているだけでなく、AIを取り入れたとしても、私たち人間にしかできない舞台をどう創造していくか、悩みながら試行する不断の努力が欠かせません。人工知能時代はもうそこまで来ているのですから。
もう20年ほど前になりますが、両親の掛かり付けのお医者さんに呼び出されました。当時、共に80代だった両親は同じ神戸市内で2人暮らしをしていたのですが、大病を患うこともなく、ヘルパーさんの助けで平穏に日々を過ごしていると思い込んでいました。しかし、先生からは、2人の持病や母が父の世話をしている老老介護が限界にきていることを知らされ、頭が真っ白になったことを覚えています。
同居して介護するか、施設に預かってもらうか、との選択を迫られたのですが、両親の家にしても、4人暮らしだった私のマンションも、6人で暮らすには狭すぎ、施設探しに没頭しました。幸い自宅近くの施設に入所でき安堵したのですが、入る際の一時金と毎月の利用費を何とか工面できたからこそです。介護を施設に任せて2人を見おくった申し訳なさも心の片隅に残っています。
今回、映画「ロストケア」(前田哲監督)を見て胸の古傷がうずきました。心身が衰えた42人ものお年寄りを殺害し、「その人たちと介護に疲れた家族を救った」と主張する訪問介護士と「人の命を奪う権利は誰にもない」と断罪する検事の論争に、正直、映画と分かっていてもたじろぎました。徘徊する父を探し回ったことや、憔悴しきった母の姿が思い出され、きれいごとでは済まない介護の実相が鋭く胸に突き刺さり、双方の間で激しく揺さぶられたのです。
映画には何の解答もありません。しかし、私たち一人ひとりがこの問題を真剣に考えなければならないことを教えてくれています。今ここにある現実として。
「痛い」
金森譲(かなもり・じょう)さんの「闘う舞踊団」(夕書房)を読んで、「第一印象は」と聞かたら、正直こう答えるしかありません。若くして欧州でモーリス・ベジャールやイリ・キリアンらダンス界の巨人たちに師事し、帰国後は日本初の公立劇場専属舞踊団を設立。2004年以来、約20年間牽引してきた天才舞踊家の回想録は、その華麗な経歴に反して“血のにじむ半生記”と言っても過言ではないでしょう。
劇場付き舞踊団を条件に、新潟市の「りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館」の舞踊部門芸術監督を引き受けたところから、金森さんの苦難の道は始まります。欧州では各劇場が舞踊団を擁しており、団員たちには給料が出て、生活を保障される代わりに日々練習に打ち込み、一流の舞台を観客に披露する。ところが日本にはそんな文化はなく、「りゅーとぴあ」を運営する(公財)新潟市芸術文化振興財団との間で、予算から人員や練習時間・場所、挙句は更衣室に至るまで、次々と衝突を繰り返すことになります。
読んでいる私はホールを運営する立場ですから、金森さんにさまざまな要求を突き付けられる財団側の苦悩もよく分かります。外から見れば「なんと先進的な」と憧れの対象だった「りゅーとぴあ」と専属舞踊団Noism Company Niigataですが、内実は双方ともに神経をすり減らす年月だったわけです。
しかし、それは日本に新しい劇場文化を創造するための生みの苦しみとも言え、トップランナーの金森さんと新潟市の挑戦に敬意を表さざるを得ません。ひるがえって、他都市の私たちがホールのために何をしているのか、厳しく問われているようにも思えます。その点にも「痛み」を感じるのです。
さて、今月も後2日。当財団の事業も4月から新しいプログラムがスタートします。みなさまに一層ご満足いただけますよう職員一同、心機一転励んでまいります。新年度もよろしくお願い申し上げます。
(「闘う舞踊団」2000円税別)
今回の「神戸能」(3月21日、神戸文化ホール中ホール、公益社団法人能楽協会主催)はまず広報から違っていました。心の奥底まで見通すかのような能面の傍らに「『能を見に行こう』と誘う人は真面目な人です」とのキャッチコピー。一度目にしただけで印象が消えないポスターやチラシにインパクトを受けた人が少なからずおられたでしょう。
そして、公演前半では笛や鼓の囃子(はやし)と謡(うたい)、舞について、演者たちの実演を交えながらのワークショップ。また、民俗学研究者による演目の時代背景などを解説するミニレクチャーがあり、私のような門外漢でも抵抗なく舞台を観賞できる斬新な構成に主催者の並々ならぬ改革への決意を感じました。
狂言「禰宜山伏(ねぎやまぶし)」に続く、能「自然居士(じねんこじ)」がこの日のハイライトでしたが、舞台袖に設置されたスクリーンに、演じられている場面の説明文が映し出され、物語の展開が手に取るように分かる仕掛けになっているのです。これまで、何が演じられているのか理解できず眠くなっていた私も登場人物たちの緊張したやりとりにハラハラしながら見入ってしまいました。
この新たな試みに果敢に挑戦されたのはシテとして自然居士を演じた上田拓司さんたちです。能楽堂ではないホールだからこそ、私のような素人も含めた観客に能楽の奥深い魅力を知らせる舞台をこれからも提供していただくことを願ってやみません。
それにしても、人買いに連れ去られようとする少女を命がけで救う人物を主人公にしたこの演目。遠く室町時代の作ですが、幼い命のために悪人たちの前で恥も外聞もなく踊って見せる自然居士は“社会包摂の元祖”とも言えます。紛争中のウクライナから大勢の子どもたちが連れ去られ、国際刑事裁判所がロシアの大統領らに逮捕状を出したという戦争犯罪を目前にして、21世紀になっても変わらない非情な現実に胸が痛みます。
東日本大震災から12年目の今年の3・11。ちょうどその日に神戸市混声合唱団の定期演奏会が神戸・ハーバーランドの神戸新聞松方ホールで開催されました。木漏れ日の森を散策しているような穏やかな曲が中心のオール・ブラームス・プログラムで、震災で犠牲になった方々への追悼の思いも込めた演奏会となりました。指揮をした神戸混声の音楽監督、佐藤正浩さんは被災県の福島出身です。アンコールも演奏曲の「ドイツ民謡集」より「静かな夜に」を再度合唱して哀悼の意を表しました。
うっとりとする曲目の中でも、若きブラームスがハンブルグの女声合唱団を指導していた時に作曲したというホルン2本とハープの伴奏による女声合唱は、今も耳の奥でメロディーがよみがえってきます。ふくよかなホルンの響きと小川のせせらぎのようなハープの音色が澄んだ歌声と溶け合い、ホールの音響の良さが大いに生きた演奏でした。
このホール、前回紹介した名古屋のしらかわホールと同じシューボックス(靴箱)型で、1、2階、両サイドバルコニー合わせて706席。阪神・淡路大震災翌年の1996年に完成し、神戸の震災復興の象徴の一つとして多くの演奏家や音楽ファンに愛されています。
ちょうど、1週間前にしらかわホールで東京混声合唱団、今回、松方ホールで神戸混声と、日本を代表するプロの合唱団と良質の響きを誇る音楽ホールを聴き比べることができました。あらためてホールの役割を再認識する機会でもありました。
繰り返しになりますが、来年2月に閉館になるしらかわホールの余命を思うと、神戸市民の財産ともいえる松方ホールの“長寿”を祈るばかりです。
先週末、名古屋で開かれた東京混声合唱団(東混)の演奏会に行ってきました。わが神戸市混声合唱団と並んで日本で数少ないプロの合唱団であり、2019年には神戸混声の設立30周年特別演奏会に共に神戸文化ホールのステージに立ってくれた良きライバルです。
指揮者は東混とは初顔合わせという広上淳一さんで日本人作曲の合唱曲やフランス人作曲家による宗教曲の指揮ぶりも楽しみではありました。
しかし、この演奏会を聴きに行こうと思い立った最大の理由は会場が三井住友海上しらかわホールだったからです。名古屋市の中心部に1994年に建てられた同ホールは理想の音響空間とも言われる「シューボックス(靴箱)」型で、1、2階、サイドバルコニー合わせて700席です。独奏や室内楽には打って付けの音楽専用ホールで演奏家や地元のクラシックファンらに絶賛されてきました。私自身、神戸市室内管弦楽団の音楽監督、鈴木秀美さんから「日本屈指の音楽ホールですよ」と教えられていて、いつか聴きに行かなくてはと考えていました。ところが、その音楽の殿堂が親会社の意向で2024年2月に閉館されると報じられ、慌ててチケットを購入しました。
演奏が始まると、高い天井から歌声がシャワーのように降り注いできて、ホールという一つの楽器の中に包み込まれている快感が全身を満たしてくれます。コンサート前のプレトークで広上さんが「みなさんの力でこの素晴らしいホールを残してほしい」と訴える気持ちが切ないほど理解できる響きでした。
閉鎖の理由はコロナ禍で公演数が減り赤字続きとのことで、どのホールも直面している厳しい現実です。しかし、貴重な文化の灯が消えるということは、たとえ他都市の民間施設とはいえ、地元ばかりでなく日本の損失ではないのか、と心が塞ぎます。
音楽の限界を超えた「音」の芸術作品と表現すればいいでしょうか。先週、神戸文化ホールで開催された第10回神戸国際フルートコンクールの入賞者披露演奏会(5人)と1位2人による優勝記念演奏会を聴いての印象です。モーツァルトやチャイコフスキーなど、馴染みのある作曲家の作品もありましたが、主役は現代作曲家による作品や演奏者自らのオリジナル曲でした。一般のコンサートやリサイタルではプログラム構成や集客などから取り上げられることはあまりありませんが、コンクールの入賞者演奏会という特別なステージだからこそ、聴衆はフルートの“最前線”に立ち会うことができました。
とりわけ優勝記念演奏会では、マリオ・ブルーノさんとラファエル・アドバス・バヨグさんが、審査員が優劣をつけられなかった超絶のテクニックと音楽性を遺憾なく発揮して、フルートの未知の魅力を引き出してくれました。フルート音楽の既成概念が打ち壊され、新しい音の扉が開いたような演奏会。これぞ世界の頂点を目指すコンクールが与えてくれた一期一会の“音楽の贈り物”です。
翌日の東京公演でも記憶に残る名演で万雷の拍手を受けた入賞者たちは、活動や研鑽の地であるヨーロッパへと飛び立って行きました。これからどんな朗報が飛び込んでくるか。彼らの今後の活躍に目が離せません。
コロナ禍のため本選まですべてオンライン審査となった第10回神戸国際フルートコンクールの入賞者が、ようやく神戸にやってきました。本来であれば、2021年夏に文化ホールで1次予選から本選まで行われる予定でしたから、約1年半遅れで彼らの生演奏が神戸で披露されます。
先日の日曜日には神戸の経済界が地元の文化を支援する神戸文化マザーポートクラブがポートピアホテルでウエルカムパーティーを開き、フルーティストたちを歓迎しました。あいにくドイツの空港でのストライキなどで、当初から来られなかった1人を除き5人中3人の参加となりましたが、神戸を中心に活動するイタリア人ヴァイオリニスト、マウロ・イウラートさんとピアニスト、佐野まり子さんによるサプライズ演奏や神戸大学の学生バンドによるジャズ演奏などで大いに盛り上がり、入賞者たちも地元の厚い歓迎ぶりに笑顔が絶えませんでした。
翌日からは遅れて到着した入賞者らも含め5人が市内の小学校6校をアウトリーチ演奏に回っており、世界トップレベルの演奏を体験した児童の中からフルーティストを目指す子どもが登場するかもしれません。
23日には、いよいよ5人による披露演奏会(午後2時から)と1位のラファエル・アドバス・バヨグさん(スペイン)、マリオ・ブルーノさん(イタリア)による優勝記念演奏会(同7時から)が文化ホールで開催されます。過去最高の483人のフルーティストの中から勝ち残った超絶の技と豊かな音楽性をたっぷりと堪能できます。当日券もまだ残っていますから、めったにないこのチャンスお聴き逃がしのないように。
毎週夢中になって見ているテレビドラマがあります。NHKが日曜日の夜遅く放送している「DOCあすへのカルテ」です。イタリア放送協会による医療ドラマで、主人公の医師が医療ミスで息子を殺されたと思い込んだ父親に頭を銃撃され、奇跡的に回復するのですが撃たれるまでの12年間の記憶を失ってしまうのです。大病院を舞台に複数のストーリーが絡みあい、予想もつかない展開に毎回画面にくぎ付けになっています。
中でも主人公が過去の自分がどんな人間だったのか知ろうとしてもがく姿が感動的です。腕はいいが同僚にも患者にも傲慢で、家庭も崩壊させてしまった過去の自分に戸惑う今の自分。相反する2つの人格が交錯するところがドラマの魅力をより深めています。
考えてみれば、この2つの人格、ドラマの医師だけのことではありません。私たちも自分だと思っている自分と周りの人が客観的に見ている自分は往々にして違っています。録音した声が別人の声のように聞こえた経験は誰しもあるでしょう。たまに性格判断などを受けると、おっとりしていると思っていたら、せっかちだったりして驚かされます。
プライベートでも仕事上でも、この2つの人格がかい離しすぎないようにするには、周りの人たちを鏡にして調整していくしかありません。
ドラマの方は放送中のシーズン1が次回で終わってしまいます。続編の早期開始を切に希望するばかりです。
淡路島の洲本から少し北上した海辺にそのレストランはあります。キャンパスカフェ「カプチーノ」。地元の人だけでなく島外の観光客も立ち寄る人気スポットです。海水浴シーズンはいつも満席なのですが、このレストランにはもう一つの役割があります。「就労継続支援B型事業所」。障がいのある人たちが学びながら厨房やフロア、菓子製造室、農園で働いているのです。
このレストランも開業当初は健常者だけが働くカフェでした。それがトライやる・ウィークの時期、知的障がいのある子どもを受け入れてほしいとお父さんに頼まれ、不安を感じながらも引き受けたのが、もう一つの役割のきっかけになったとオーナーの柿原孝司(かきはら・たかし)さんは振り返ります。ひたむきに仕事に取り組む生徒の姿に柿原さんも他の従業員も感動を覚え、それ以来、障がいのある人を1人、2人と少しずつ採用し、いつしか、障がい者雇用を考える淡路島の企業が視察にくるほどのレストランになっていました。
柿原さんは特別支援学校などで身に着ける技能と一般企業が求めるスキルの間に溝があることを実感し、私費を投じてレストランの敷地に働きながらソーシャルスキルが学べる学園を開校。今では14人の方が通っています。一般企業に採用される“卒業生”もおり、平均工賃も兵庫県平均の2倍を維持しています。コロナ禍でレストランの売り上げが半減したときも彼らが精魂傾けて作ったプリンが人気商品となり危機を乗り越えました。
さて、文化振興と障がい者支援。どう組み合わすことができるか、まだ名案は浮かびませんが、私たちも社会包摂の最先端であらねば、と日々頭を巡らせています。
あなたの思い出の映画は? と聞かれたら、邦画、洋画、アジアや中東、中南米ものなど、数えれば枚挙のいとまがありません。でも飛び切りの一作は、と問われれば、イタリア映画の「ニュー・シネマ・パラダイス」(1989年)と答えるでしょう。田舎町で、映画好きのいたずらっ子と老映写技師とのほのぼのとした友情。誰もがそのシーンを思い浮かべるとき、温かく切ないメロディーが去来するはずです。それどころか音楽こそが懐かいシーンを鮮やかによみがえらせてくれると言っても過言ではありません。
その映画音楽を作曲したエンニオ・モリコーネのドキュメンタリー映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」を見ました。本人の述懐と彼と共に映画を作った監督やプロデューサー、歌手、そのサウンドに乗って世界的スター・監督となったクリント・イーストウッドらも証言者として登場します。
1960年代から本格的に映画音楽に取り組んでいますが、意外なことに、「 “純粋音楽”との相克に苦悩し続けてきた」と、老境に入ったモリコーネ当人が吐露しています。なのに、その悩みの中で「荒野の用心棒」などのマカロニ・ウエスタンから「ミッション」、「アンタッチャブル」、アカデミー賞作曲賞の「ヘイトフル・エイト」など、2020年に91歳で生涯を閉じるまで数々の名曲が生まれてきました。
映画音楽がクラシック音楽界で低く見られていた時代、内気な天才作曲家の秘めたる反骨精神が創造の源泉だったのかもしれません。モリコーネを知る老映画監督が次のように語っています。「私たちがモーツァルトやベートーヴェンを聴いているように、これから200年先、現在の誰の作品を聴いているでしょう」。 “純粋音楽”なのか、それともモリコーネの音楽なのか。芸術とは何か、との重い問いでもあります。
前回に続いて神戸文化ホール開館50周年についてです。先週、2023年度から3年かけて繰り広げる50周年記念事業を神戸市民や多くのホール愛好者にお知らせしようと、記者発表を行いました。関係者が並んだ写真付きの新聞記事も出ましたから、お読みなった方もおられるでしょう。
さて、初年度は世界で活躍する指揮者 山田和樹さんが神戸出身の不世出の作曲家 大澤壽人(おおさわ・ひさと)の幻の作品を世界初演(演奏会として)するガラ・コンサート(5月19日)から始まります。山田さんの指揮でどんな演奏が聴けるのか今から胸が躍ります。その演奏会で私が個人的に楽しみにしているのは募集した子どもたちによる児童合唱団がステージに上がることです。山田さんのアイデアで、「神戸から未来へ」のタイトルどおり次世代へつながる企画です。
続く第2弾の「緑のテーブル2017」(10月21日)は、ナチスが台頭する時代のドイツで反戦のメッセージを込めて作られた「緑のテーブル」をもとに、神戸を中心に活躍する振付家 岡登志子さんが2017年にオリジナル作品として創作したコンテンポラリーダンスです。「平和」を訴える役には戦争体験者の貞松・浜田バレエ団の代表 貞松融さん(90歳)が登場します。岡さんは50周年にちなんで一般からの参加も募り50人で踊る新バージョンを構想しているとのことです。市民の手で神戸の文化を支えていくシンボルとなることを期待しています。
子どもたちの合唱といい、一般市民も加わったダンスといい、ホールは鑑賞型から参加型、そして創造型へと役割を大きく広げています。どうぞ、文化ホールで新たな体験と感動を味わってください。第3弾、第4弾も合わせて、以下のURLをクリックして50周年事業の扉を開けてみてください。
https://www.kobe-bunka.jp/hall/50th/
神戸文化ホールは今年開館50年を迎えます。阪神・淡路大震災を乗り越え、市民のみなさまと半世紀を歩んでまいりました。神戸の文化の拠点として長らくご愛顧いただいていることに厚く感謝申し上げます。
さて、文化ホールがどのように開館したのだろうかと、催し物を紹介する「ほーるめいと」の縮刷版をめくってみました。開館記念式典は1973年(昭和48年)10月16日、大ホールで行われています。マエストロの朝比奈隆さん指揮、大阪フィルハーモニー交響楽団によるワーグナー作曲「ニュルンベルクの名歌手」前奏曲で華々しく幕を開けています。市長のあいさつに続いて民踊や日本舞踊、バレエ、合唱など、市内の文化団体がこぞって舞台に立ち、開館を祝っています。その後も桂米朝師匠の独演会や巨匠アレクシス・ワイセンベルクのピアノリサイタル、能楽などが目白押しです。当時のにぎわいが目に浮かぶようです。
「ほーるめいと」をさらにめくっていくと「幕間」というコラム欄があり、著名人から一般市民までテーマ自由で寄稿しています。その中で小学6年生の女の子の文章が印象に残りました。劇団四季の「雪ん子」を観た感動を懸命に説明しているのですが、はかなくもけなげに生きた雪ん子「ユキ」の生涯に心打たれ「ユキがまいた小さな種はみんなの心を少しずつゆり動かして行っていると思います」とつづっています。この女の子もそれから50年、文化ホールでの感動がその後の人生を豊かにしたのではないでしょうか。あらためて、ホールが掛け替えのない役割を担っていることを痛感します。
阪神・淡路大震災から28年目となる1月17日を前に、「南海トラフ地震に備える政策研究」と題した論文を読む機会がありました。数十人の研究者たちが4年がかりで研究調査した労作です。おそらく南海トラフ地震に関する最新の研究成果と言えるでしょう。
今後30年の間に70%から80%の確率で発生するとされている南海トラフ地震は最悪の場合、東海から近畿、四国、九州の広い範囲が被災し、犠牲者も被害額も阪神・淡路大震災や東日本大震災をはるかに上回る恐れがあります。しかも、被災が予想される地域は高齢化が進んでおり、国は膨大な借金を抱え、日本経済も以前のようには元気がありません。論文を執筆した専門家たちは、もうこれまでのような復興は難しいとそろって予測しているのです。
そこで、唯一、犠牲者を減らし、私たちが元の生活を取り戻すための方法は、今すぐに“事前”の取り組みを始めるしかないと全執筆者が強調しています。しかし、現実は、国も自治体も国民も準備不足で、この状態で発生したらと思うと背筋が寒くなります。
印象的な言葉に「すでにあるリスク」という表現がありました。この巨大地震は将来の「可能性」ではなく、かならず起こる「現実」だということです。
論文を読み終わって、この研究結果が私たちを守るための“警世の書”となって国中に広まることを願っています。
あけましておめでとうございます。大晦日から三が日にかけて神戸のお天気は穏やかでしたが、みなさん、どんなお正月をお迎えになりましたか。私と妻は元日、怠けていた両親のお墓参りに出かけ、その帰り道、地元の神社で初めての初もうでをしました。
西区の西神ニュータウンに移り住んで34年になりますが、まちなかには神社はなく、初もうでと言えば代表的な生田、湊川、長田の三社参りが通例でした。それが、ニュータウン近くの櫨谷(はせたに)町を通りかかったとき、和気あいあいと歩いている地元の人たちに出会い、不思議に思って後をついていくと山あいに鎮座する櫨谷神社に到達したのです。
小さなお社ですが源義経が平家追討の途中、兵士や馬を休ませたとのいわれがある由緒ある神社です。参道には帰省中らしい若者や赤ちゃんを抱っこしたヤングファミリーも交じった初もうでの列ができ、私たちもちゃっかり並ばせてもらいました。地元の神社で一年のお願いをして鈴を鳴らし、充実した年の初めとなりました。きっと、やっと墓参りにやってきた親不孝者への両親からのお年玉かもしれません。
わたくし事ばかりで失礼しましたが、あらためて今年一年、神戸文化ホールなど各施設、神戸市室内管弦楽団、混声合唱団も含め当財団をよろしくお願い申し上げます。
神戸と言えばハイカラな欧風文化に彩られたまちのイメージが強いのですが、日本の伝統文化もしっかり根付いています。芸能部門だけでも、能や狂言、三曲(箏、三味線、尺八)、須磨寺を中心にした一弦琴、農村歌舞伎などが挙げられますが、日本舞踊も盛んです。
地元の舞踊家で組織する兵庫県舞踊文化協会は8流派、230人が加盟しており、多くは神戸在住か神戸で活動する踊り手たちです。少子化で後継者不足に直面している現実はありますが、海外の人たちを引き付けてやまない日本人の美意識を表現する芸術として受け継がれていくことを願っています。
そんな日舞の将来が期待できる舞台を先日、神戸文化ホールで見ることができました。この秋、兵庫県芸術奨励賞を受賞した若手の舞踊家、花柳知香之祥(はなやぎ・ちかのしょう)さんによるリサイタル「祥の会」は、シンプルに日舞の魅力を伝えるステージでした。妻の藤間晃妃(ふじま・こうき)さんと息の合ったやりとりが楽しい「清元 神田祭」、格調高い素踊りの「長唄 島の千歳」、師匠の花柳五三輔(はなやぎ・いさすけ)さんとの惜別の余情ただよう「清元 峠の万歳」を舞い切りました。
いずれも日本人ならではの機微が何気ないしぐさにまで宿っていて見る者の心を打ちます。世界を席巻する日本アニメの人気の根底にも、私たちが引き継いできた独特の感性があり、日舞はその極限の表現芸術ともいえるでしょう。
夢のまた夢ですが、私たちが日本人演じる西洋のオペラやバレエを当たり前のように観賞するように、将来、海外の人たちが現地で日舞を楽しむ時代が来るのではないでしょうか。もちろん開催国の人たちが踊り手になること大歓迎です。
2022年の舞台の幕が間もなく下りようとしています。神戸文化ホール、神戸アートビレッジセンター、各区文化センターのご利用まことにありがとうございました。財団職員一同厚く感謝申し上げます。来年も各施設をご愛顧賜りますようお願い申し上げます。みなさま、よいお年をお迎えください。
世界初演です。先週末、神戸文化ホールの中ホールで上演された貞松・浜田バレエ団による「くるみ割り人形と秘密の花園」はおそらくバレエ史に残るであろう革新的な全幕バレエでした。気鋭の振付家として世界的に活躍している大石裕香さんの演出・振付だけに前評判も高かったのですが、本番の舞台はその予想をさらに上回る創造性に満ちていました。
ストーリーも登場人物もこれまで慣れ親しんできた「くるみ割り人形」から大胆に刷新されています。新体操の男性アスリートたちがフープ(輪)やバトンを巧みに操りながら踊り手の周りで軽々と宙返りをやってのける。舞台進行に欠かせない「ドロシー叔母さん」にはソプラノ歌手の並河寿美さんが起用され、圧倒的な声量で場面転換を図る。背景も衣装も照明もすべて斬新で衝撃と感動の2時間半でした。
同バレエ団の「くるみ割り人形」と言えば、華やかでコミカルな「お菓子の国」バージョン「お伽の国」バージョンの2公演を毎年クリスマスの時期に当ホールで上演し、神戸の冬の風物詩となってきました。子どもさんから大人まで多くのファンに愛されてきた“定番”でしたが、その人気に安住せず、3つ目の新バージョンに果敢に挑戦されたことに共催者として大いに感謝しています。
来年(2023年)12月23、24日には文化ホール大ホールでこの「秘密の花園」バージョンがフルオーケストラ付きで上演される予定です。さらに大きな舞台で大石さんがどんな“マジック”を仕掛けてくるか今からわくわくします。
「手話裁判劇『テロ』」の反響がとまりません。10月はじめ、神戸アートビレッジセンター(KAVC)で上演されてから2カ月余りが過ぎましたが、新聞やネットで取り上げられ続けています。ろう者と聴者、視覚障がい者が共に舞台に立ち、発語と手話が交錯する今までに例のない演劇だけに、公演前から注目されていましたが、これほど世の中にインパクトを与えるとは、プロデュースしたKAVCも当財団も想像できませんでした。
今月10日の毎日新聞夕刊には「手話が崩す『常識』」の見出しで、この劇の記事が社会面トップで掲載されています。一般的に新聞の演劇紹介は「文化面」や「芸能面」が大半で、しかも公演前に載ります。公演後は評論家による「劇評」がほとんどで、今回のような扱いは異例のケースと言えます。
取材、執筆した記者だけでなく掲載面やレイアウトを考える整理記者など編集局のメンバーが、「この劇が社会的影響力を持つ」と判断した結果でしょう。「私たちは、自分と異なる他者の存在を本当に想像してきたか」と記者が自らに問う文章も通例の演劇紹介とは大きく異なっています。
読売新聞も東京版で「ろう者俳優 今注目!」との見出しで「テロ」を大きく取り上げています。関西の、それもメジャーでない劇場の自主制作劇が東京の一般紙に掲載されることも珍しいことです。「ろう文化を背景に持つ俳優の活躍の場を広げていくための前哨戦だ」との演出家、ピンク地底人3号さんの意欲的なコメントを紹介しているところに、地域を越えた社会的意義を記者たちが見出しているのだと感じます。
KAVCは来年度から装いも新たになりますが、社会にインパクトを与えるパフォーミング・アーツに引き続き取り組んでいきます。ご期待ください。
追伸:12月13日の産経新聞夕刊に「テロ」が見開き2ページにわたって写真グラフで取り上げられました。手話裁判劇が完成するまでの試行錯誤の過程をカメラで追っています。
年末年始をどう過ごすか考えるにはまだ早いかもしれませんが、里帰りや旅行の予定がなければ、心に残る本を読んでみるのも有意義な休日の過ごし方かもしれません。しかし、「心に残る」と言っても、何を読むべきか選ぶのは意外に難しいものです。自分の好みだけで決めているとジャンルが偏って“木を見て森を見ず”になってしまいがちです。せっかくなら本の森を探索したいところです。そんな悩みに答えてくれそうなガイド役の本を最近見つけました。
「神戸外大教師が新入生にすすめる本」(神戸新聞総合出版センター刊、税別1000円)。2年前に出た本ですが、神戸市立外国語大学の教授ら70人が「これまでに最も心に残る本や読んでほしい作家」を挙げています。中には翻訳の第一人者や外国人教授もいて、世界的視野に立って読んでほしい本を推薦しています。「新入生に」と言いながら、私のような高齢者でも興味津々のラインナップです。
言語学の専門書もありますが、多くは文庫本で読める小説などで、私が読んだことがある「舟を編む」(三浦しをん)や「ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界」(阿部謹也)などは複数の先生が推薦しています。どうしてその本を挙げるのか、推薦理由のコメントも興味深いです。地元の大学教師のガイドで正月休みを過ごすのも一興ではないでしょうか。
ナゾが解けず、こんなに頭を悩ませるとは。簡単に分かるだろうと高をくくっていたので、時間に追われて頭が真っ白になってしまいました。そういえば学生時代、答案用紙を前に同じような経験をしたような。遠い昔の苦い思い出までよみがえってくる始末です。
先週末、神戸文化ホールで行われた「ああオルタンシア!ナゾトキぐるぐるびゅんびゅん 大劇場!!(でも中ホール)」。以前のつぶやきで予告を書きましたが、幼い子どもさんも参加するファミリー向けだからと軽く見ていたことを痛く反省しています。
まず中ホールでの喜劇と弦楽合奏でリラックスしてしまったことが後に響きました。ホールを飛び出して向かった神戸中央体育館前の広場では3つのナゾが待ち構えていました。どれも手ごわく、役者さんたちがコミカルな演技でヒントを教えてくれるのですがチンプンカンプン。隣の人が解答を書き込んでいるとよけいに焦ります。
1問あきらめて次の大倉山公園に向かうとナゾがさらに2つ。「もう時間ですよ」との声でさらに1問断念して中ホールへ戻るとナゾトキのフィナーレです。愉快なお芝居を見ていれば、正解がいとも簡単に分かるだけに何とも悔しい。「帰ってから解いてみて」と出されたおまけのナゾもなかなかの難問で、最後まで頭が“ぐるぐるびゅんびゅん”になってしまいました。
周りのお客さんたちも満足感と悔しさが入り混じったような表情で、念入りに準備した劇団メンバーやスタッフにしてみれば“超参加型イベント”の手ごたえをひしひしと感じたことでしょう。来年も同じような企画をやってくれるなら、何としても今回の雪辱を果たしたいとは思いつつ、さらに落ち込むかもしれません。
西宮市大谷記念美術館の館長 越智裕二郎さんが19日、逝去されました。神戸市立博物館の開館準備段階からの学芸員で、2007年から始まった神戸ビエンナーレ(全5回開催)や開港150年を記念した港都KOBE芸術祭(2017年)にもかかわった神戸のアート・シーンに欠かせない人物です。
私とは神戸市制100年に合わせ1989年に神戸市博で開催された「松方コレクション展」がきっかけで“戦友”とも呼び合う仲になりました。松方コレクションは今でこそ世界三大美術コレクションの一つとして有名ですが、当時は作品数など全体像もはっきりせず、担当学芸員の越智さんは調査や図録執筆で夜も寝られない忙しさでした。私はといえば展覧会に合わせてコレクターの松方幸次郎の生涯を神戸新聞で長期連載していたのですが、これまた、その足跡もどんな人物だったかも不明なことばかり。取材執筆に悪戦苦闘していました。そんな中、新たに発見した情報を伝えあい、長いトンネルを一緒に掘り進むような間柄となり、いつしか太い絆を感じるようになりました。
それだけに、いまだに突然の訃報がなかなか受け入れられない心境です。73歳、学芸の世界ではまだまだ現役の世代です。港都KOBE芸術祭に出品した、やなぎみわさんや小曽根環さんらからも早すぎる他界を惜しむ声が寄せられています。
今年8月末、六甲ミーツアートの内覧会で作品を巡りながら若い学芸員たちと談笑していた柔和な表情が懐かしくよみがえってきます。
安らかにお眠りください。
笑って、頭をひねって、音楽に酔いしれて、気付いたらホールの魅力を丸ごと体験できる、そんな欲張りな“お祭り”が、今回の神戸文化ホールチャレンジジャンボリー2022「ああオルタンシア!ナゾトキぐるぐるびゅんびゅん大劇場!!(中ホール)」です。
ネタバレにならない程度に紹介しますと、すべてはホールの地下倉庫に眠っていた楽器を持った謎の人形を見つけたことから物語は動き出します。まずは50年に及ぶ一大ロマンス喜劇。お芝居は神戸アートビレッジセンターで3年に渡って上演されたフラッグカンパニーで私たちの度肝を抜いた演出家やシナリオライター、役者たちが腕によりをかけた抱腹絶倒のオリジナルコメディーです。そこから始まる6つの謎を、ホールから飛び出して周りを巡って解きながら、再びホールに戻ってくると人形たちによる甘味な演奏が待ち受けています。
ホールをテーマパークに見立てた“一粒で3度おいしい仕掛け”ですが、ホール事業課はもとより舞台課や演奏課など当財団挙げての行事ですから、職員たちは人一倍力が入っています。日ごろの鑑賞型のイベントとは異なり、小さなお子さんから大人の方まで、楽しみながらホールの舞台裏まで知ってもらえる絶好の機会です。
目下、キャストもスタッフも熱のこもった練習を続行中。いよいよ仕上げの段階に入っており完成度には自信があります。今月26日(土)午後2時から、神戸文化ホール中ホールです。これは見逃せませんよ。
早いもので今年も残すところ2カ月を切りました。全国のアマチュア合唱団の多くは第九の「歓喜の歌」の練習に余念がないことでしょう。ベートーヴェンの交響曲9番が歳末の風物詩になって久しいですが、この合唱に参加して声楽やクラシック音楽のファンになったという方も珍しくありません。多くの市民が歌う喜びに第九で出合えるなんて、世界に誇る日本の年末行事ではないでしょうか。
さて今年も「1万人の第九」など、さまざまな第九が演奏されますが、当財団主催の「市民の第九」はそのユニークな仕組みで合唱団員の満足度アップに自信を持っています。まず合唱の水準を合わせるために初めて歌う人たちのための初級者コースを8回、通いやすい近くの文化センター(4カ所)で行います。プロの声楽家の指導でシラーの詩をドイツ語で歌えるまでになって経験者コース(6カ所)に合流します。ここでさらに8回レベルを上げていきます。先月からは新しくオープンした中央区文化センターでパートごとの合同練習が始まっています。ここまでくれば団員たちの心身に「歓喜の歌」がしっかりしみ込んでいます。
コロナの感染防止のため、ステージに立つのは昨年同様、従来の半分程度の137人となりますが、つらい時代だからこそ「苦難を克服する」この歌が団員たちをより鼓舞していることでしょう。
指揮は昨年に引き続き若手の成長株、粟辻聡さん、オーケストラは中央区文化センターの音楽プロデューサー、マウロ・イウラートさんによるプロ主体の選抜メンバーで構成されています。
公演は12月10日(土)午後3時、神戸文化ホール大ホールです。ぜひお越しください。
NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」はいよいよクライマックスに入ってきました。後鳥羽上皇を頂点とする朝廷勢力と北条義時率いる鎌倉幕府軍の激突となった「承久の乱」に向けてドラマは刻々と進行しています。しかし、まさにその時代に起きたもう一つの“歴史的事件”については、視聴者はほとんど知りません。
承久の乱から2年後の1223年、現在の新潟県長岡市の海岸に大陸からとみられる異国船が漂着し、鎌倉にもたらされた積み荷を義時らが見分しています。問題はその中にあった札に記された4つの文字です。漢字に似ているものの漢字ではなく、当時の学者らが読み解こうとしましたがさっぱり分かりませんでした。鎌倉時代の歴史書「吾妻鑑(あずまかがみ)」の筆者もよほど不思議に思ったのか4つの文字を書き写しています。
以来、この謎の文字は歴代の学者の研究対象となり続け、明治時代に入って、12世紀に中国東北部(旧満州)に「金」を建国した女真族の文字とまで解明されました。現在は金国の通行手形とみられていますが完全解読には至っていません。800年に渡って書家や言語学者をとりこにしてきた4つの文字、いつか解き明かされる時が来るのでしょうか。
ひょっとして、義時役の小栗旬さんや政子役の小池栄子さんらが謎の文字の前で思案投げ首なんてシーンがあれば最高、なんですが、さすがに無理でしょうね。
まず装丁からして心をざわつかせます。まるで製本を途中であきらめざるを得なかったように綴じた糸がむき出しになったまま刊行されているのです。「一九三〇年代モダニズム詩集」。戦前、先鋭的な詩を次々と発表しながらこつ然と消えた神戸の詩人の作品を当時の同人誌などから丹念に拾い集め、その足跡を追った労作の編集者が今年の井植文化賞の報道出版部門に選ばれました。
表彰されたのは神戸在住の詩人、季村敏夫さんです。1930年代後半、前衛詩を書いた神戸の若者たちが治安維持法違反で次々と獄舎に送られた「神戸詩人事件」当時に焦点を当て、一冊の詩集もない無名の詩人3人を現代によみがえらせました。
最初に登場する「矢向季子」は1914年神戸生まれという以外、本名なのかどうかも含め全く不明です。しかし、季村さんはこの詩人を「何かに、激しく促されるまま、ことばを刻む。官能の火と花の軌跡、奇蹟といっていい行為の結晶がのこされている」と評価しています。時代が違っていればどんな作品を残しただろうかとやけどするような熱量を持った詩を読みながら悔しくなります。
本が醸し出すイメージは、官憲の目をかいくぐり、ひそかに地下で印刷された詩集そのものです。季村さんは「はじめに」の末尾を「消えてしまった、たましいをよびよせる、この集を編みながら念じていた」と結んでいます。後を託された詩人の執念を感じます。
*同書(みずのわ出版)のほか共著の「一九二〇年代モダニズム詩集 稲垣足穂と竹中郁その周辺」(思潮社)、「カツベン―詩村映二詩文」(みずのわ出版)などの出版が受賞理由になっています。
見る、話す、聞く。私たちが日ごろ当たり前のように享受しているコミュニケーションの手段を失ったとき、どんな新しいコミュニケーションを創造できるでしょうか。今月初め、神戸アートビレッジセンターで上演された手話裁判劇「テロ」は、聴者、ろう者、視覚障がい者が同じステージに立ち、しかも重要な役どころを演じきったスリリングな劇でした。同じ役を1人は手話で、もう1人は音声で、そしてステージ上にはセリフが字幕で流れる。同時に全盲の役者は暗示的な行動で観客を劇の世界に誘い込んでいきます。
劇のストーリーは極めて深刻です。テロリストにハイジャックされた164人乗りの旅客機が7万人収容のサッカースタジアムに突っ込もうとしている。緊急発進した戦闘機のパイロットが独断で旅客機を撃墜します。そのパイロットは有罪か無罪か。法廷では、さまざまなコミュニケーションが機関銃のように飛び交います。そして判決は陪審員の観客にゆだねられます。
演出を担当したピンク地底人3号さんは「練習に費やした7カ月間が作品ですね」とアフタートークで明かしていました。情報伝達の壁を乗り越えるために全員が悪戦苦闘した経過こそ作品なのでしょう。その様子が思い浮かびます。目指すべきユニバーサル社会のモデルを見せてくれたキャスト、スタッフ全員を称えたいと思います。
演奏者と聴衆が転々と移動しながらジャズを楽しむ神戸ジャズストリートが3年ぶりに帰ってきました。北野町界隈では8日と9日、デキシーを陽気に奏でるおなじみの楽隊がパレードで開会を告げ、あたりはジャズのムード一色に。各会場となったレストランやバーなどの前にはファンの長い列ができ、プログラムを片手にそぞろ歩きをしながら「次は何を聴こうか」と大いに盛り上がっていました。その様子を眺めながら正直胸をなでおろしたというのが共催者の一員としての偽らざる心境です。
というのも3年前の第38回が台風襲来で1日目が中止になり収支計画が大幅にくるってしまったのです。結果的にコロナの感染拡大で一昨年と昨年、開催を見送らざるを得ませんでしたが、資金的にも39回目の開催が危ぶまれていました。日本のジャズ発祥の地であり、全国各地に誕生したジャズストリートのルーツでもある神戸から、ファンに長年愛されてきた“元祖ジャズストリート”が消えてしまうのでは、と主催者たちは焦燥感を募らせていました。
今回、新たにクラウドファンディングなどを活用して採算のめどをつけ、晴れて開催となったことは共催者としてだけではなく、神戸市民としても感謝の気持ちでいっぱいです。大御所の北村英治さん(クラリネット)や東京のバンドも駆けつけ、例年に劣らぬ華やかさとなったことを心から誇らしく思います。
さて来年は神戸で初めてプロのバンドによるジャズが演奏されたから100年。そして節目の第40回は前夜祭10月6日、本番7、8日と決まっています。不死鳥のジャズストリート、どんな演奏を聴かせてくれるか今からわくわくします。
“弱音(じゃくおん)”がこんなに美しいなんて。神戸市室内管弦楽団がショパン国際ピリオド楽器コンクールで2位になったピアニストの川口成彦さんを招いて開催した神戸文化ホールでの定期演奏会は、まさに「耳を澄まして聴く」コンサートでした。ピリオド楽器とは古楽器のことですが、大昔の楽器ばかりではありません。ピアノの詩人、ショパンが弾いていた19世紀前半の楽器は現在のものよりずっと小ぶりです。この日演奏された彼のピアノ協奏曲第2番は通常なら大型のグランドピアノがオーケストラを相手に迫力のある音をホール内に鳴り響かせるところですが、川口さんが弾く200年前のフォルテピアノはささやくようです。
指揮者の鈴木秀美さんが「弱音を楽しんで」とプレトークしてくれましたから、耳をそばだててフォルテピアノに意識を集中していると、川口さんの指先から表情豊かな音がくっきりと浮かび上がってくるのです。それは暗闇で目を凝らしていると情景が見えてくるのに似た不思議な感覚でした。
ピアノの歴史とは、大きな音が鳴らせるようになり、音域が広がってきたとは鈴木さんの解説ですが、その過程で“弱音”の魅力が失われてきたとすると、楽器の進化とは何なのか。川口さんがアンコールで弾いたショパンのノクターン第20番「遺作」を聴きながら、正解のない疑問が哀愁に満ちた曲とともに頭の中を巡っていました。
ある日、小学校から帰ると、
うちに1匹のネコがいた。
やせっぽちでずいぶんとみすぼらしい。
こんな出だしの絵本「カギしっぽのフク」が届きました。作者は昨年12月、62歳で急逝した元神戸新聞記者の太田貞夫さんです。私のかつての後輩で、記者職の後は文化事業を担当していたこともあって、気心の知れた仲でした。あまりに突然の他界に心の空白を埋められずにいましたが、かわいい三毛猫の表紙の絵本が天国から届いた彼からのメッセージのように感じられ、いとおしくページを繰りました。
捨てネコのフクを獣医さんから引き取ってきたばあちゃんとぼくのささやかな暮らしを優しい眼差しで描いています。一見幸せそうなのですが、一家は阪神・淡路大震災で両親を失っており、フクのおかげでばあちゃんとぼくが生きがいを見出していく再生の物語でもあります。
淡々とした文章なのに、隅々までリアリティーがあるのは、引き取ったネコとの暮らしが事実に基づいていることや彼自身が震災の被災者であり、震災報道に没頭した記者だったからでしょう。
絵本に仕上げる前に亡くなったため未完で終わってしまうところ、妻の聖子(まさこ)さんが彼の元同僚いなだ みずほさんに絵を依頼して、完成させたとのことです。
「先に天国へ行ってしもて、ごめんな。…」
ぼくのお父さんの夢の中の言葉ですが、やっと彼の別れの言葉が聞けたようなぬくもりを感じながら本を閉じました。
出版元は文芸社。本屋さんや通販サイトでも購入できるそうです。税込み1100円。
当財団のアートマネジメント講座の一つとして今月から女性講師によるキャリア・プランニング講座を開いています。初回は愛知県芸術劇場のエグゼクティブプロデューサーの唐津絵里さんをお迎えしました。唐津さんはダンサーとしての経験を生かしたダンスフェスティバルやダンスオペラの企画、韓国やオーストラリアなど海外の芸術団体との共同制作を実現させてきた名プロデューサーです。斬新な発想やどう困難を乗り越えて舞台化してきたか秘訣を聴くだけでもアートマネジメントに携わる者やその道を目指す学生らには大いに参考になります。
しかし、それ以上に私の心をとらえたのは、唐津さんが出産、育児、かつ介護もやり遂げてきたもう一つの道のりでした。「仕事先のホールに行くときは、周辺の託児施設を探し子どもを預けて仕事をしました」という苦労は、男の私には想像もできないことです。そして、今では当たり前になっている旧姓使用も27年前、しかも県職員という立場を考えると生易しいことではなかったでしょう。
仕事だけではなく女性としてもフロンティアの役割を担ってきた唐津さんの歩みは後に続く女性たちに大いに勇気を与えたに違いありません。男性にとっても真の「男女共同参画」とは何か、私のように“気づき”の場になったのではないでしょうか。今回の講座自体、育児経験のある女性職員の企画です。日本のジェンダーギャップ指数は世界116位。当財団も足元から改革していかなければ、と痛感します。
次回は10月29日、城崎国際アートセンター館長の志賀玲子さんです。ふるってご参加ください。
突然ですが、松方幸次郎、大谷光瑞(こうずい)、光村利藻(としも)。この3人と、そして神戸との関わりをご存知でしょうか。知っている方は相当神戸の歴史にお詳しい。名前も聞いたことがないという人が大半ではないでしょうか。
まず松方幸次郎ですが、世界三大美術コレクションの一つ「松方コレクション」のコレクターです。そこまでは知っていても、では日本に持ち込まれた作品群が神戸で所蔵され、日本初の大規模な美術館構想まであったことはいかがでしょう。
次なる大谷光瑞。大谷探検隊を組織して中央アジアなどを踏査しました。さて、持ち帰った膨大な埋蔵品などを調査研究していたのが六甲山麓に建てた摩訶不思議な殿堂だったことはどうでしょう。
そして光村利藻。神戸から撮影隊を率いて日露戦争に従軍し、旅順の攻防戦や日本海海戦の鮮明な記録写真を残しています。さらに日本で最初に神戸で映画撮影をして銀座などで上映したことはほとんど知られていません。
先日、公益財団法人井植記念会の「垂水文化講座」で、「神戸を創った巨星たち」と題してこの3人と神戸に焦点を当てたお話をしました。明治大正期の神戸で日本の文化を西欧に劣らぬ高みに引き上げようと桁外れの挑戦を試みた巨星たちの功績に光を当てたかったからです。いずれも現代につながる偉業を成し遂げたにもかかわらず、残念ながら名前も足跡も歴史の淵に沈んでいます。
忘却の彼方から巨星たちを手繰り寄せ、3人が牽引した文化の灯をさらに輝かせたい。当財団も彼らからバトンを受け継ぐランナーであらねばなりません。
しかし、この時代、神戸の文化を支える主役はもちろんコンサートや美術展に足を運んでくださる市民の方々であることを講演の最後に申し添えておきました。
先月末、長野県松本市で開催中のセイジ・オザワ松本フェスティバルに行ってきました。小澤征爾を総監督として国内外から一流の演奏家が毎夏集うクラシックの祭典です。コロナ禍のために2年休んだこともあって、まち全体が息を吹き返したように活気づき、音楽祭がまちや市民にもたらす恩恵の大きさにあらためて感動しました。
実は昨年も直前まで開催する方向で準備万端整っていたのですが、感染拡大で急きょ中止に。室内楽やオーケストラ演奏を楽しみにしていた私と妻は悩んだ末、夏休みを兼ねて観光でもしようと予定通り神戸空港から松本へ飛び立ちました。
しかし、そこで目にした光景はといえばコロナ前のにぎわいが幻だったかと思えるほど。目抜き通りまで閑散としており、街路にはためく音楽祭のバナーが痛々しく見え、直前中止の衝撃の大きさを物語っているようでした。
今回、再び生気を取り戻したまちに安堵したのですが、神戸の文化事業に携わる者として、音楽祭をまちの活力剤にまで育て上げたフェスティバル関係者に羨望の念を抱かざるを得ません。
でも、演奏会では神戸出身でドイツのオーケストラに所属するコントラバス奏者の幣隆太朗や第8回神戸国際フルートコンクールで優勝したセバスチャン・ジャコーの姿を発見し、「こちらも負けていないぞ」とひそかに決意して演奏を楽しんできました。
コロナ禍に連日の猛暑が重なった8月ももう終わりです。2年ぶりに行動規制が緩和された夏休みでしたが、みなさんはどんな体験をされたでしょう。仙台育英高が東北勢として初めて優勝旗を持ち帰った夏の高校野球は大いに盛り上がりましたが、神戸文化ホールでの“文化の甲子園”も負けず劣らず熱い戦いが繰り広げられました。
今年で34回目となった全日本高校・大学ダンスフェスティバルや37回目のジャパンステューデントジャズフェスティバルはその代表格で、各地から若者たちが創作ダンスやビッグバンドの頂点を目指し神戸に集いました。
それぞれ期間中、ホールがある大倉山一帯は出場チームであふれかえります。当然ながらホール内に入りきれません。正面のロータリーから多い時は山手幹線を越えて中央体育館前の広場まで埋まります。舞台映えする奇抜な衣装に派手な化粧のダンスチーム、サックスやトロンボーンなどを抱えたジャズチームが川の流れのように連なり、玄関前では渦を巻いているようです。混乱しているとしか見えませんが、実はこれが当ホールの夏の風物詩。各方向からステージに向かってきちんと動線が決められており、出場チームは分刻みのタイムスケジュール通り舞台に上がって行きます。
さて、本番を終えた部員たちの動線はホール東隣の公園へ。そこでは、みんなそろっての記念撮影が待っています。本番前の張りつめた表情はすっかりほころび、達成感に包まれ和やか表情でカメラに向かう若者たち胸には、きっと生涯忘れられない思い出が刻まれていることでしょう。
字が上手な人がうらやましい。自分の悪筆が子どものころからずっとコンプレックスなのです。展覧会の受付で署名するのが大の苦手。前に書いた人が達筆だったりすると冷や汗ものです。
そんな私が、東灘区文化センターのうはらホールで開催された「書の芸術祭」に参加しました。足を踏み入れるときはまさに嫌いな食べ物を口に放り込む心境です。しかし、意外や意外、漢字や仮名、前衛、篆刻(てんこく)の各ブースをめぐって筆を握っていると、なぜか字を書くことが苦でなくなってきます。思い切って書き上げた半紙を指導の先生に見せると「個性を大切に」の一言。下手を「個性」と表現して下さいました。字は相変わらずですが、先生の思いやりで積年のトラウマが少し和らいだような気がします。
この催し、8年前に始まったのですが、同じく「悪筆」を自認する当時の館長が地元の書道家前田敦子さんと一緒に始めたそうです。翌年からはいけばなの成瀬香泉さんにも参加してもらっています。コロナで2年中止し今回は3年ぶり。感染予防で寄せ書きを縮小するなどしましたが、それでも子どもからお年寄りまで180人近くが書に取り組みました。
中でも圧巻は兵庫高校、須磨東高校の書道部パフォーマンス。音楽に合わせて袴姿の部員たちが「東雲の空に誓う…」などと流麗に筆を滑らせていきます。やっぱり達筆はいいな、とため息が出ます。
さて、広いホールの床面にシートを敷き、各ブースのセッティングなど、いつもと違うイベントだけに手間がかかります。毎回準備から後片付けまで館長以下スタッフは大忙しです。しかし、私のように書道の苦手意識から解放される人がいることに免じて来年以降もよろしくお願いします。
お盆も明け、子どもたちの夏休みも残り2週間を切りました。そろそろ2学期やたまった宿題などが気になってくるころですね。そんなタイミングで子どもたちをお伽の世界にいざなってくれる音楽劇「気づかいルーシー」が神戸文化ホールで上演されました。岸井ゆきのさん演じる少女「ルーシー」を中心に「おじいさん」や「馬」や「王子様」が登場するメルヘンの世界ですが、そこは松尾スズキさんの原作、気鋭のノゾエ征爾さんの脚本・演出です。夢のような世界なのに、考えさせられることがいっぱい。楽しい歌と踊りにうっとりした子どもたちは、きっといくつもの「?」を頭に浮かべながらホールを後にしたことでしょう。いつの日か、その「?」が人生に栄養となることを願っています。
実はこの作品、東京芸術劇場で上演した後、神戸など全国6会場を巡回するはずだったのですがコロナで東京公演が中止となり、今回のツアーで神戸が初舞台となりました。それだけに文化ホールで無事上演できたことに感謝するとともに、続く5会場での公演成功を祈らずにはいられません。一人でも多くの子どもたちに「?」を。「ルーシー」たちの活躍に期待しています。
11人の男性オペラ歌手が朗々と“愛のメッセージ”を歌い上げる神戸新聞松方ホールでの「カンツォーネ ダ コウベ」は、今年で24回を数え、すっかり神戸の夏の風物詩となっています。今回も熱唱のたびに満席の会場からは拍手が鳴りやまず、感染防止で声の代わりに「ブラボー」などと書いた団扇やスカーフを振って感動を伝えるファンも少なくありませんでした。
コロナ前はコンサートが終わったころに会場近くの港内から花火が打ち上げられ、聴衆はホールの屋外デッキから夜空を焦がす色とりどりの大輪の花をカンツォーネの余韻に浸りながら堪能できました。来年の夏には歌と花火がセットで楽しめることを願わずにはいられません。
さて、海上花火大会に合わせて8月最初の土曜日に花火が間近に見られる松方ホールで男だけのカンツォーネを歌うという凝りに凝った企画、いったい誰の発案なのか、主催する兵庫県音楽推進会議の代表宮本慶子さんにお尋ねしました。そのアイデアマンは、かつて文化ホールで毎年開催していた神戸アーバンオペラハウスや神戸市混声合唱団の創設にかかわったバリトン歌手三室堯(みむろ・たかし)さんとのことです。残念ながら2000年に62 歳で急逝されましたが、企画は脈々と受け継がれ、若い歌手も新たに加わっています。一人の歌手が生んだ男と花火と海のカンツォーネ、まさに神戸だけの“鉄板コンサート”です。
芸術に国境はありません。
芸術によって世界が平和になることを願っています。
戦争は、決してしてはなりません。
先月、中央区文化センターのオープニングイベントの一つとして上演されたダンス「緑のテーブル2017」の冒頭、「風」を演じた貞松融さんが訴えかけた言葉です。本作のもとはドイツ表現主義舞踊の泰斗クルト・ヨースの振り付けにより、1932年に発表された作品で、ナチス政権誕生直前の不穏な雰囲気が濃厚に漂っています。ダンスカンパニーのアンサンブル・ゾネを主宰する岡登志子さんがリメイクして、今回の再演となりました。岡さんによるとヨースの作品は戦後「反戦バレエ」と呼ばれ、現代舞踊の発展に大きな影響を与えたとのことです。
貞松さんは全国屈指のバレエ団、貞松・浜田バレエ団の創設者であり、今年90歳。国民学校時代に太平洋戦争が始まり、武器となる金属の供出や疎開先では出征兵士の見送りにも立ち会っています。出演者の中で唯一戦争を知る世代であり、平和に対する思いの強さは長年のバレエ団の演目や国際交流に反映されてきました。
「芸術が死んでいった」あの時代に生きていたからこそ平和を希求する貞松さんの「風」は、今回の上演のベストキャストと言っても過言ではないでしょう。77年目のヒロシマ、ナガサキがまもなく訪れます。
先日、神戸文化ホールで「こどもコンサート 海はひろいなおおきいな」を聴いていて 頭に浮かんだのは、なぜか変装の名人が登場する江戸川乱歩の「怪人二十面相」でした。
コンサートでは、神戸市室内管弦楽団が一滴の水が川となり海へとつながっていることを和洋の音楽で表現する一方、混声合唱団が「南の島のハメハメハ大王」などを明るいキャラとお得意のパフォーマンスで歌い、会場を大いに盛り上げてくれました。あちこちで赤ちゃんの泣き声が聞こえ、通路を走る子もいましたが、そんなことがまったく気にならないイベントなのでお父さんやお母さんも心ゆくまで音楽を堪能していました。
冒頭の変な連想なのですが、客席から静かに舞台を見ているコンサートの“形”がここまで変化したことに感動を覚えたからです。開演前の場内アナウンスからして、いつもと真逆でした。「客席で動いたり音が出てもかまいません」「公演中でも入場も退場もできます」「場内は暗くしません」。これなら、赤ちゃんが泣いたりぐずったりしても、親御さんは周りを気にする必要はありません。自由に出入りできてしかも足下が暗くないので安心です。
これからのホールは「怪人二十面相」のように多様に変化し、子どももお年寄りも障がいのある人もすべての人が楽しめる場とならなければ、と、明智小五郎ではありませんが、頭を巡らせているところです。
金昌国先生が15日に逝去されました。金先生は往年の名フルート奏者であり、東京藝術大学フルート科教授として多くのフルーティストを育てたクラシック音楽界の功労者ですが、神戸にとっては神戸国際フルートコンクールの育ての親として忘れられぬ存在です。
昨年度、第10回の節目を迎えたコンクールはコロナ禍によってすべてオンライン審査となりました。それでも45カ国・地域から483人のフルーティストが応募する世界的な音楽コンクールの一つとして不動の地位を誇っています。その理由の筆頭に挙げられるのは厳正な判定を下す審査員たちが著名な国内外のフルーティストであり、上位入賞した挑戦者の多くが有名オーケストラに所属しているほか、ソロ奏者、指導者として活躍しているからでしょう。
その土台を築いて下さったのが金先生でした。当時を知る神戸市の幹部職員OBの話では、設立時、ピアノやヴァイオリンと違って世界的にライバルとなるコンクールが少なく、しかも愛好家の多いフルートに白羽の矢を立てたものの、どのように運営すればいいのか分からず、助けを求めたのが神戸高校出身の金先生だったとのことです。
金先生はコンクールの評価は審査員の顔ぶれで決まると第1回から名だたるフルーティストを候補に挙げ、一人一人、口説き落としていきました。最初のコンクールではジャン=ピエール・ランパル、ジュリアス・ベイカー、3回目から6回目まではオーレル・ニコレら、そうそうたる奏者が審査員に入っています。中でもランパルといえば、当時クラシックファンでなくても名の知れた天才フルート奏者であり、審査のレベルの高さが神戸のコンクールを一気に世界クラスに押し上げたともいえます。超多忙な現役奏者たちを2週間も神戸にくぎ付けにするのは並大抵のことではありません。金先生の次世代のフルーティストを育てたい、との高い理想と誰からも慕われる人柄あってこその偉業です。
ここに謹んで金先生のご冥福をお祈りするとともに、これからも神戸国際フルートコンクールの発展を見守って頂きますように。
前回に引き続き、「舞台見学会」についてのつぶやきです。神戸電子専門学校の先生や学生たちが神戸文化ホールの見学後、アンケートに答えてくれました。まずうれしいのは、ほぼ全員に満足してもらえたことです。冒頭の反響板の収納も「すごく迫力がありました」「感動しました」などと、立案したホール舞台課のスタッフたちのねらい通りとなりました。
また、照明や音響を学ぶ学生らしく「ピンスポットを正確に照射するのは難しかった」「スピーカーの組み立ては難しそうだけど楽しそう」など、実技の醍醐味も味わえたようで「普段見られない裏側を見られて興奮しました」と書いてくれています。
舞台上の「10の間違い」を探すコーナーでは「分からなかったところは自分の足りないところ。これから勉強していきます」と、舞台スタッフを目指す学生の回答は真剣そのものです。
熱心に答えてくれたアンケートを読みながら、あらためて同校と「包括連携協定」を結んで良かったと実感しています。日々の公演でお客様に喜んで頂くことはもちろん最優先ですが、将来の夢に向かって懸命に努力する若者たちに、こんなお手伝いをすることも当財団の大切な役割であることを教えてくれました。
この見学会の模様が同校のホームページで紹介されています。さすが同校の先生による撮影で学生さんや説明役の財団職員の表情がいきいきととらえられています。以下のURLをクリックしてください。
https://www.kobedenshi.ac.jp/whatsnew/?p=41983
ステージ正面、両サイド、そして天井。重さ何トンもある大きな反響板がゆっくりと収納されていきます。単なる機械的な動作なのですが、絶妙な音響と照明の効果によってドラマチックに雰囲気が盛り上がり、さながらSF映画を見ているようです。訪れた約50人の若者たちが心を鷲づかみにされたのもうなずけます。
今月初め神戸文化ホールに神戸電子専門学校サウンドテクニック学科の学生たちを招いて行われた「舞台見学会」。当財団と同校との「包括連携協定」の第一弾として実施されました。普通の見学では学生たちを満足させられないと、同校を卒業した職員をはじめホール舞台課のメンバーらが1カ月前から、舞台技術の大切さと面白さをどう伝えるか、検討を重ねてきました。
ステージ上に仕掛けられた「10の間違い」。学生たちが数班に分かれて舞台や照明室などを探し回り、その先々で職員たちから機材の説明や操作方法を教えられ、舞台技術の奥深さを発見するツアーとなっているのです。
さて、この見学会のきっかけとなった「包括連携協定」ですが、当財団にとっても同校にとっても必要に迫られての締結なのです。文化芸術の発信拠点としてホール・劇場に要求される創造的役割は質量ともに年々増しています。しかし、アーティストたちとともにステージを作り上げていく舞台技術の人材は慢性的に不足しており、専門人材の養成は国の指針でも求められています。
この日、学校内のスタジオなどで音響や照明を学んでいる同校の学生たちにとって、2000席のホールで実際に音を響かせ、さまざまな光を照射する体験はまたとない実地研修となったことでしょう。当財団にとっても学生たちがホールで経験した醍醐味をきっかけに舞台のスペシャリストを目指してもらえれば、苦心した企画が報われるというものです。
神戸文化ホールって、どんなホール?
ステージや座席数など形式や広さ、音楽向き、演劇向きといった機能ではなく、広く市民にどう受け止められているのか、実のところ日々運営に携わっている私たち財団の職員にもよく分からないのです。公演ごとにお客様にアンケートをお願いしていますが、記入して頂くのは主に鑑賞者の年代や住所地、公演や施設、サービスの印象などです。来場者だけでなく、全市民、さらに兵庫県内の人たちに「あなたにとって文化ホールとは」と、あらためてお聞きしたことはないのです。
そんな疑問にずばり答えてくれる画期的なインターネット調査が政策研究大学院大学(東京)の垣内恵美子先生、小川由美子先生によって行われました。計2000人弱(サンプル)に文化ホールを知っているか、利用の有無、行かない理由などを尋ねています。
回答結果としてうれしいのは神戸市内での認知度が9割を超え、繰り返し利用している人も半数近く、神戸を除く県内でも認知度は7割強と全国の公立ホールでもトップクラスに位置していることです。さらに、行ったことがあると答えた700人弱を対象にした調査では過半数が文化ホールを「人や芸術と会える場所」「優れた芸術に触れる場所」とイメージしているとの回答でした。
しかし、好意的な回答に喜んでばかりいては運営者としては失格です。「知っているが、行ったことはない」が神戸市内で27%、市外で44%。この人たちにどうすれば、来て頂けるようになるのか、真剣に知恵を絞らなければなりません。ほかにも改善すべき点、努力すべき点が調査結果から明らかになりました。
このデータを基にした垣内先生らの研究論文がまもなく出来上がります。熟読して、さらに来場数も満足度もアップする神戸文化ホールを目指します。来年は開館50年です。
久元喜造神戸市長のブログに、文芸評論で知られる川本三郎さんの「『細雪』とその時代」を「面白く、二日で読み終えました」とありました。「細雪」はもちろん文豪谷崎潤一郎の大作ですが、久元市長は川本さんが「細雪」を通して昭和十年代の神戸・阪神間を瑞々しく描いているところにとくに感銘されたようです。
市長と似た年代に共通するのでしょうか、私も生まれる少し前の時代に引き寄せられている一人です。とりわけ国際港湾都市として日本の玄関口だった神戸が空襲で焼け野原になる前はどんなまちだったのか、あれこれ書物も読んできました。しかし、詳細な歴史書でも当時の臨場感までは味わえません。そんな折、題名に引かれて買った一冊の文庫本に長年の探し物を見つけたような感動を覚えたのです。
「神戸・続神戸」。戦況が傾き始めたころから、「トーアロード」のホテルを舞台に、多国籍の滞在者らが織り成す人間模様を新興俳句運動の旗手、西東三鬼がつづった自伝的作品です。戦後、俳句雑誌に連載されたもので、フィクションを含んでいるには違いありませんが、国際都市らしい神戸の雰囲気が鮮やかによみがえってきます。官憲からにらまれてはいても、ホテルの空気はいたって自由なのです。巻末の解説で作家の森見登美彦さんが「戦時下の神戸に、幻のように出現する『千一夜物語』」と記しています。神戸がそんなまちだったことを誇らしく思う半面、戦後生まれは千一夜物語のホテルには泊まれないことがちょっぴり寂しくもあります。
ずいぶん昔になりますが芸術活動を対象にした補助金申請の選考委員を務めたことがあります。そのときの第一印象は「申請するってなんと面倒くさい」でした。どんな事業をどんな趣旨でやろうとしているのか、芸術的価値や計画実現性、予算などを事細かく記述しなければならないのです。
元選考委員としてお許し頂きたいのですが、たくさんの候補の中から公平に選ばなければならないので、どれも必須項目なのです。趣旨説明では、選考委員を納得させるため文章表現にも手が抜けません。社会状況とも無縁であってはインパクトが弱まります。また、選ばれたら選ばれたで、予算に従い何を何に使ったか逐一領収書を添付して詳細に報告する義務があります。書類作成にたけている人なら容易かもしれませんが、たいがいはこの手の作業に不慣れな人たちが申請するのです。当時、審査にあたっていて申請者たちのため息が聞こえてくるようでした。
一昨年、コロナ禍の芸術活動を支援しようと当財団が神戸市とともに行った「頑張るアーティスト!チャレンジ事業」に応募した人たちも申請書作成に頭を悩ませたことでしょう。補助を受けた人にアンケートすると、案の定、国や自治体の補助制度をリサーチする段階で、どんな支援が受けられるのか、どう活用すればよいのかよく分からず、「申請をあきらめた」との声が寄せられました。
そんなアーティストたちに知ってほしいのが当財団の「こうべ文化芸術相談窓口」です。神戸市内在住、在勤、主に市内で活動している人たちを対象に企画実現ためのアドバイスをしています。書類作成は代行まではできませんが、どのような補助金が使えるかなど、どういったポイントを押さえればよいか答えてくれます。補助金申請の壁を乗り越えるだけでなく資金計画や活動拠点探しなど幅広く相談に応じています。内容によってはその道のエキスパートにもつなぎます。昨秋から始めていますが、これまで音楽や演劇、書画、造形など50件近く問い合わせがありました。
アーティストのみなさん、あきらめないでください。窓口はこの財団ホームページにありますよ。
いま、公立ホールを運営する私たちにとって大きな比重を占めているミッションは社会包摂です。一般にはなじみの薄い言葉ですが、端的に言えば年齢差や障がいの有無にかかわらず演奏や演技を披露でき、または楽しんで鑑賞してもらえるホールを目指す、ということです。段差をなくすなど施設のバリアフリー化を連想しがちですが、実は従来のホール運営の概念を一新しなければならないほど奥の深いテーマなのです。
「一般のコンクールとはまるで逆でした」。先月末に神戸文化ホールで開催された、障がいのあるアーティストのための「Para 国際音楽コンクール」の舞台進行を担当したスタッフからこんな報告を受けました。例えば演奏者に向ける照明は、従来は公平性から同じ照度を維持します。しかし、このコンクールでは光に抵抗感のある演奏者もおられるため、各挑戦者が不快感を持たない照度をその人ごとに調整しました。
「次の奏者にはこのような障がいがあります」と伝えられ、その人のベストコンディションとは何かを真剣に考えたと言います。付き添いのお母さんが合図しないと演奏が止まらない子どもや当日までどの指が動くか分からないというピアニストなど、その多様性に驚かされた一方、「どの演奏者もとてもレベルが高かった」と感動するスタッフはこのコンクールから多くのことを学んだようです。
ホールはハンディーのない健常者だけが利用する場であっていいはずはありません。
「みんなちがって、みんないい」
金子みすゞの詩のように、誰もが使いやすく楽しんでもらえるホールをどう実現するか、既成概念にとらわれず考えていかねばと思います。
神戸市内の全市立小学校を訪問して子どもたちに生の音楽を経験してもらうアウトリーチ事業「小学生に向けた音楽の贈りもの」が今年度で4年目になります。当初は神戸市混声合唱団のメンバーが低学年、同室内管弦楽団のメンバーが高学年を担当してきましたが、2年前からは神戸音楽家協会にお願いして地元の演奏家にも加わってもらっています。
コロナの影響で学校行事が中止や延期になる中、音楽担当の先生を中心に学校側の協力で感染防止に注意を払いながら、やっと低学年67校、高学年71校訪問しました。しかし、どちらもまだ半分に達しておらず、今年度はびっしりとスケジュールが入っています。
体育館などに集まった子どもたちは、クラシックの名曲や人気アニメのテーマソングの演奏を聴くだけではありません。実際に楽器を鳴らしてみたり、合唱団員オリジナルの音楽劇に参加して踊るなど、耳だけでなく体全体で音楽の魅力を味わっています。子どもたちの目の輝きと楽しそうな反応が訪問した音楽家たちのやりがいでもあります。
気長な話ですが、生の演奏を聴いてもらうことで、将来のクラシックファンを増やしたい、その中から音楽に携わる人が出てくればと願っています。でも、そこまで行かなくても、芸術に感動する心豊かな子どもが育ってくれればいいのです。
まだ来てないよという学校の子どもたち、必ず行きますから待っていてくださいね。
広島県福山市で開催された音楽祭に神戸市室内管弦楽団が参加し、最終日の22日、メイン会場のリーデンローズ大ホールでハイドンの交響曲などを演奏しました。同市は瀬戸内海の景勝地、鞆の浦で知られていますが、新幹線の駅を降りたら一目瞭然、バラのまちでもあるのです。空襲で焦土と化したまちをよみがえらせようと市民が1000本のバラを植えたのが始まりとのことです。今では100万本にまで増え、この時期いたるところで色とりどりの満開のバラが馥郁たる香りを漂わせています。
鞆の浦をはじめ今年で築城400年になる福山城など、観光資源は少なからずありますが、バラのまちはまさに市民が自発的に取り組んできたシビックプライドであり、今やシティープロモーションにもなっています。神戸でも植物園や公園などで季節の花を楽しむことはできますし、アジサイが市民の花にはなってはいますが、まちの代名詞とまでは言えません。福山市民のバラ愛に圧倒されるとともにうらやましくもあります。
それから、驚いたのは5日間の期間中、1万人以上の市民がさまざまなクラシック音楽を堪能したということです。私たちの公演にも1時間以上前からホール前に長い行列ができました。神戸市の3分の1の人口ながら市民に音楽文化が根付き花開いている。主催者側の地道な努力に学ぶべき点が多いことを痛感した音楽祭でもありました。
神戸在住のイタリア人ヴァイオリニスト、マウロ・イウラートさんが六甲山上に野外ステージをつくり、先日、オープニングセレモニーがありました。当日は爽やかな快晴で野鳥のさえずりと協演するように六角形のステージ上で奏でられたマウロさんのヴァイオリンにうっとりしました。
その式典のお祝いのスピーチで触れたのですが、これからの時期、六甲山や市内のあちこちで私たちの目を楽しませてくれるのがアジサイです。1970年に市民アンケートで神戸市民の花になっており、神戸文化ホールの正面壁面のモザイク画もアジサイです。しかし、この花、全国各地で咲いており、神戸原産とか発祥といったいわれはありません。では、どうして神戸市民の花となったのでしょう。思い当たるのはやはり六甲山に咲き乱れるアジサイからではないでしょうか。
しかし、そこでまた疑問が頭に浮かんできます。今では緑豊かな六甲山ですが明治期は、はげ山でした。植物学者もあきれており、写真も残っています。地道な植林活動で現在の姿になったのですが、アジサイがなぜ多いのか。その理由を記した文献にまだお目にかかっていません。
ずいぶん昔になりますが、興味深い話がひとつ。六甲山をよく知るお年寄りから聞いたのですが、阪急電車の創設者小林一三が大量のアジサイをトラックで運ばせたというのです。六甲山をこよなく愛した一三が地元の人たちに、この山に似合う花は何かと聞いてやったとのこと。ロマンあふれるエピソードなのですが、そんな記録を知っているという方がおられましたらぜひ教えてください。
ウクライナとロシアから帰国せざるを得なかった日本人ダンサーたちにステージで踊ってもらい、収益金を戦時下のウクライナの劇場に届けようというチャリティー公演が神戸文化ホール(中ホール)で7月15日に開催されます。神戸市内のバレエ団体が帰国ダンサーたちの窮状を知って立ち上がったのですが、当財団も趣旨に賛同して、神戸市混声合唱団のメンバーがウクライナの民謡などを歌おうと企画中です。
先日、主催者と帰国ダンサー5人が神戸市役所の記者クラブでチャリティー公演について会見しました。ウクライナから避難してきたバレリーナたちは、まさかと思っていたロシア軍の侵攻で慌てて避難したが、当たり前だった練習や上演の機会を失い途方に暮れていると、苦しい実情を切々と訴えていました。
共に並んだロシアからの帰国ダンサーたちもつらい思いをしています。その1人はクレジットカードが使えなくなり、SNSも見られず、両親の説得でバレエ団を辞めたと言います。しばらくヨーロッパでダンスの仕事を探したものの見つからず断念して帰国したとのこと。その悔しさをこらえ、所属していたバレエ団のウクライナ人の指導者や団員のことを案じていました。
遠い彼方での戦争がこんな身近なところにも悲劇を生んでいる。国家的暴力の前に立ちすくむ若い才能を目前にして戦争の罪をつくづく思い知らされる会見でした。
義援金ともなるチケットは6月1日から神戸文化ホールのプレイガイドで発売されます。
大型連休初日の4月29日、面白いコンサートが神戸文化ホールでありました。「合唱コンクール課題曲コンサート」。神戸市混声合唱団が今年度の全日本合唱コンクールとNHK全国学校コンクールの課題曲を披露するというプログラムです。全国の学校やアマチュア合唱団が頂点を目指す二大コンクールですから、当日、詰めかけた聴衆の中には、合唱団員や指導者らしき人たちが目立ちました。私の隣に座っていた男性は一曲ごとに身を乗り出して小さく手を振っていました。きっと頭の中で指揮をしていたのでしょうね。
神戸市混声の音楽監督、佐藤正浩さんの企画、指揮によるプログラムで、昨年度はコロナ禍でやむを得ずYouTubeでオンライン配信しました。しかし、多くの合唱団が半年間練習に打ち込む曲を、プロの合唱団が先行して歌うのですから反響は大きく、今回、初の舞台披露となったわけです。この公演、内実は冷や汗もので年度初めとあって課題曲の楽譜が手に入ったのが4月になってから。本番までの合同練習が2回だけという即席コンサートでしたが、そこはさすがプロの声楽家たちでした。
佐藤さんいわく「模範演奏ではありません」とのことですが、NHKのコンクール課題曲はまったくの新曲ですから、隣のお客さんのように“耳ダンボ”になりますよね。ちなみに私は過去の課題曲を特集した後半のプログラムの中でアンジェラ・アキさんの「手紙~ 拝啓十五の君へ~」に胸が熱くなりました。
今回のコンサート、後日YouTubeで公開されるそうです。また、佐藤さんは来年も趣向を変えながら続けていくと言っておられます。年度初めの恒例事業になるのではと期待しています。
新緑のすがすがしい季節到来ですが、今年はいま一つ気分が晴れません。ロシア軍のウクライナ侵攻が始まってから2カ月を過ぎても停戦の兆しすら見えず、そこへ知床半島の観光船事故が重なり、命が失われていく現実に心は萎えるばかりです。きっとみなさんも同じ心境ではないでしょうか。そんな中、本棚から取り出したのは、須賀敦子の旅にまつわるエッセイ集でした。きっと癒しを求める気持ちが「こころの旅」というタイトルにいざなわれたのでしょう。
須賀敦子といえばイタリア文学の翻訳家で夏目漱石や谷崎潤一郎の作品をイタリア語に訳して日本文学をヨーロッパに紹介した功労者です。また、名エッセイストとしても健筆を振るいましたが1998年に69歳で他界しています。
彼女の生い立ちや青春時代を振り返る「芦屋のころ」などには、芦屋、西宮、神戸の阪急沿線が登場し、戦前とはいえ阪神間の光景が目に浮かび親近感が湧きます。中でも記憶に残ったのが「塩一トンの読書」という短いエッセイです。結婚間もないころ「ひとりの人を理解するまでには、すくなくも、一トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」とイタリア人の姑に諭されたという彼女は、古典文学も塩一トンを舐めつくすほど読み込まなければ真に理解できないと語っています。
それは、私たちが携わる音楽や他の文化芸術も同じことでしょう。読み終えて、16歳で終戦を迎え単身ヨーロッパに渡り、最愛の夫を早く亡くしても、孤独の中でペンを執り続けた一人の日本人女性に「しっかりしなさい」と背中をたたかれた気分になりました。
当財団の職員が大阪大学の社会人講座の修了証をもらいました。アートに関連する人材育成プログラムということで、弥生時代の土の笛を実際に作ってみるなど興味が湧くカリキュラムですが、中でもまちなかに作品を展示するパブリックアートについて考察するプロジェクトは極めて今日的課題と言えます。
対象となったのはJR新大阪駅前の設置場所が旧国鉄(JR)から大阪市に変更になったことで管理者がいないモニュメント「タイムストーンズ400」。受講生たちは前衛的な創作活動で海外でも名高い具体美術のメンバーだった作者の今井祝雄さんを訪ね、作り手としての心境を聞き、大阪や神戸の屋外作品を見て回り、シンポジウムを開いています。
パブリックアートは、その場所のシンボルとして親しまれている作品がある一方、作者が分からない、制作の意図が不明な作品も少なくありません。中には腐食したもの、木の茂みに隠れてしまっているものもあり、プロジェクトの記録集には「私が注目しただけでも価値があったのか」との受講生の嘆きの声も。神戸市はかつて野外彫刻展を開催し、まちなかに積極的に作品を展示してきただけに、パブリックアートのその後について真剣に向き合う必要があるでしょう。みなさんの近くにどんな作品があり、いまどのような状態になっているか、見つめ直してみませんか。
横浜の女性声楽家3人がウクライナの人々を励まそうと、ほぼぶっつけ本番、ウクライナ国歌の歌詞をカタカナで覚え歌っているニュースがありましたね。YouTubeで聴いた同国の人たちから「感動した」と反響があったとのことです。もちろん、ネイティブの人からすればおかしな発音があったに違いありません。それでも、否応なく祖国から逃れなくてはならない人たち、祖国を守るために戦わねばならない人たちには、どんな名演奏より心に響いたことでしょう。
一つの歌が人々に勇気を与え奮い立たせる。誰もが思い浮かべるのは19世紀末、シベリウスが作曲した「フィンランディア」です。帝政ロシアの圧政に苦しめられていたフィンランド国民の愛国心を鼓舞し、ロシアが演奏禁止にしたことはあまりに有名です。それから120年を経て、ウクライナ国歌「ウクライナは滅びず」が、また同じ役割を果たしています。日々、破壊されたまちの映像が流れ犠牲者の数が増えていく中、日本にいる私たちに何ができるのか。音楽家としてカタカナでのウクライナ国歌斉唱に踏み切った彼女たちに賛同と感謝のエールを送りたいと思います。
神戸アートビレッジセンターのKAVCシネマが年度末の3月末で終了しました。開館26年になる同センターの魅力をさらに高めようと、子どもたちがアートに親しめるコーナーを新設するなど、今年秋から神戸市が施設改修工事に入るためです。開設当時と異なり、元町映画館や神戸映画資料館が誕生し、商業ベースに乗りにくいために封切り映画館では見られなかった作品も見られるようになったこともあり、施設のスペース上やむを得ない決定となりました。
しかし、KAVCシネマに映画の面白さを教えてもらった一人としては、やはり寂しいですね。さまざまなジャンルの作品と出合ってきましたが、忘れられない一つが「日本喜劇映画特集」です。戦後の日本人を大いに笑わせてくれた今は亡き喜劇俳優たちが昭和の庶民の暮らしとともにスクリーンによみがえり、あまりの懐かしさに涙ぐむ人もおられました。ゲストとしてトークショーに登場した大村崑さんはまさに新開地近辺の生まれ育ち。子ども時代、新開地の劇場が遊び場で、子役で飛び入り出演したという秘話まで聞けました。
終盤で人気を博した「三船敏郎特集」は配給条件が難しく、なかなか他館が手を出せなかったところ担当者が熱心に交渉して上映に漕ぎ着けました。地味だが余韻が残る作品が多いのもKAVCシネマの特色だったように思います。
長年ご愛顧頂いた映画ファンに厚く感謝申し上げるとともに、これからも進化する神戸アートビレッジセンターにどうぞご期待ください。
まもなく4月、とりわけ新入生や新入社員にとっては、新たな生活に心弾む季節ですが、今年は霧が立ち込めたようにすっきりしません。3年目に突入した新型コロナは感染者の減少が鈍く、まん延防止等重点措置が解除されてもマスク着用やアルコール消毒など施設利用は規制がかかったままです。そこへロシア軍のウクライナ侵攻です。連日のニュースで悲惨な光景が映し出され、日々犠牲になっている一般市民へ哀悼の念を禁じえません。
完全に廃墟と化したまちを見て思い出すのは被災者として神戸大空襲を克明に描いた長田区出身の舞台美術家、妹尾河童さんの自伝的小説「少年H」です。焼夷弾による火の海の中を母親と奇跡的に逃げ延びた場面は鬼気迫るものがあります。ウクライナの人たちも同じく生死の境に立たされていると思うと心が痛みます。
9年前、「少年H」の映画化の際、河童さんに頼まれて新聞社から借りた1枚の航空写真は今も忘れることができません。それは北野町にぽつんと建つ白い回教寺院以外、すべて灰塵と化した神戸市全景です。これが77年後のウクライナの現実なのです。
被災者の心を癒す文化芸術の出番がいつめぐってくるのか、一刻も早く凶暴な戦の嵐が去り、穏やかな平和が訪れることを遠い神戸から願わずにはいられません。
予兆はあったものの、まさかのロシア軍によるウクライナ侵攻で、東欧から遠く離れた日本でも陰鬱な空気が垂れ込めています。冷戦終結後、曲がりなりにも国家間の大きな戦争がなかったヨーロッパで、目を覆いたくなるような破壊と幼い子どもまで巻き込んだ犠牲が日々怒涛のように報じられています。ミサイル攻撃や砲火にさらされているウクライナの人々に何ができるか自らに問うていますが、残念ながら、数百万人単位になろうとする難民を寄付などでささやかに支援するぐらいしか思いつきません。
世界に広がるプーチン大統領やロシア軍への憤りは当然のことです。ですが一方で言語道断な自国の非道に心痛めているロシアの人々も数多くいるということも、拘束覚悟で繰り広げられている国内の反戦デモ等を見れば明らかです。私たちは感情に任せて国家と個人を同一視しがちです。文化芸術分野でも、責任のないロシア人アーティストやロシア芸術に対する敵視が起こりかねません。しかし、このような行いは過去の戦争・紛争においても繰り返され、大きな傷跡を残す過ちであったことを歴史は教えてくれています。怒りを向ける相手を間違えないでおきましょう。そして、一日も早くウクライナに平和が戻ることを祈りたいと思います。
3月に入って日ごとに春めいてきました。暦では、「雨水」の次の「啓蟄(けいちつ)」ですね。寒さが一段落して土の中から虫が出てくる季節です。野鳥が飛来し始めるのもこの時期で、我が家の周辺にはウグイスもやってきます。まだ、一人前ではなく上手に「ホーホケキョ」と鳴けず「ホホケキョ」と舌足らずに鳴くのも愛嬌があります。
鳥の鳴き声と言えば、先日の神戸国際フルートコンクール関連講座「クラシック音楽なんかこわくない」で、驚くべき話を聴きました。交響曲の出だしとして、超有名なベートーヴェンの第5番「運命」の「ジャジャジャジャーン」がなんと鳥の鳴き声かもしれないと言うのです。講師の音楽ジャーナリスト飯尾洋一さんによると、キアオジという野鳥の鳴き声をモチーフにしているのでは、とのことで、YouTubeで見るとキアオジがまさに第5番の出だしをさえずっているのです。
「運命の扉をたたく」と固く信じていた私としては、今でも頭の中で運命の扉と鳥のさえずりが渦を巻いています。ともあれ器楽演奏は言葉がないだけに、いろいろな解釈が成り立つという意味でも魅力があります。ひょっとすると、後世の人が表題を付けた他の名曲にも、こんな信じられないような新説が登場するかもしれません。神戸市室内管弦楽団によるベートーヴェン企画のマスコット「ジャジャ」と「ジャジャーン」も自分たちのルーツがキアオジの鳴き声だと知ったらびっくり仰天するでしょうね。
暦では立春の次に春の訪れを告げる二十四節季の一つが「雨水」です。今年は2月19日ごろから。雪が雨に変わるころなのですが、「春は名のみ」で北海道や北陸ばかりか兵庫県でも日本海側は記録的な大雪に見舞われています。雪の少ない神戸は雪かきの必要もなく、ニュースを見ながら豪雪地帯の人たちに申し訳なく思っています。それでも吹き付ける風は凍るように冷たく、春を待つ気持ちに変わりはありません。
底冷えする夜は外に出る気になりませんが、寒風に掃き清められた夜空は空気が澄み切って星がきらめいています。思い切って庭やベランダに出てみてください。私でも真ん中に3つの星が並んだオリオン座なら見当がつきます。
思い返せば神戸市混声合唱団のメンバーがコロナ禍で平穏な生活を奪われた人々を癒し励まそうとオンライン上で「星に願いを」を歌ってくれてからもう2年になろうとしています。残念ながら、いまだに、いつ終息するのか先が見通せませんが、星降る夜空を見上げながら、合唱団と同じように「輝く星に心の夢を、祈ればいつかかなうでしょう」と願うばかりです。
不覚にもコロナに感染してしまいました。財団の職員やお客様に耳にタコができるほどマスク着用や手洗いを呼び掛けてきた当人がこのありさまでお恥ずかしい限りです。前回の第5波までの経験からしてオミクロン株の感染力は従来株とは比べ物になりません。発症前数日間の行動を真剣に振り返ってみたのですが、自宅外でマスクを外して会話や会食をした覚えはなく、どこでうつったのか全く見当が付きません。その一方、2人暮らしの家庭では妻と居住範囲を1階と2階に分けるなど、保健所やお医者さんの言いつけを守りましたが抵抗むなしく妻に感染させてしまいました。
2人とも重症化せず10日間の自宅療養で済みましたが、買い物にも出られない隔離生活は食料にも事欠きました。また、周りには長期入院した人もおり軽症で済んだのは幸運だったというしかありません。
そんな私が言っても説得力はありませんが、感染防止に一段と力を入れて取り組んでいきます。神戸文化ホールなど各施設では当面さまざまな規制が続きますが、「感染者を出さない」ために皆様のご協力をお願い申し上げます。
新春早々、神戸文化ホールで開催した井上和世プロデュース、佐渡裕指揮、オペラde神戸「椿姫」は7、8日両日とも2000席余りの大ホールが満席となり、コロナ禍の中で、訪れた人々に久しぶりに文化の力を実感して頂けたと思います。昨年秋ごろには空席がほとんどなくなり、チケットを購入できなかったオペラファンにはたいへんご迷惑をお掛けしました。
さて、当日、プログラムを見て驚いたのは関係者の数の多さです。もちろん歌手や合唱団、オーケストラ、バレエ団など、通常のコンサートに比べキャストの人数は比べものになりません。目を見張ったのは舞台には登場しないスタッフの人数です。スポットライトは浴びないけれど、さまざまな役割のプロたちがオペラを作り上げているのだなとあらためて思い知りました。
どれもこれも重要なのですが、印象的だったのは舞台の真ん中にそびえ立つ一本の柱です。全3幕ともこの柱が登場し、場面を巧みに切り分けるばかりでなく椿姫の運命をも象徴しているようでした。担当した増田寿子さんの創造力のたまものです。
随分昔になりますが「NINAGAWAマクベス」を見た時びっくりしたのが、舞台全体が巨大な仏壇だったことです。舞台美術を担当した神戸出身で「少年H」の作家、妹尾河童さんは蜷川さんに舞台を仏壇にしてくれと依頼され、日本中の仏壇を見て回ったと話していました。
オペラなど舞台芸術は、お節料理のようにさまざまな魅力がぎっしり詰まっています。これからもみなさんの記憶に残るステージを創造していくことを新年の抱負としたいと思います。
当財団のホームページをご覧いただいてありがとうございます。さらに私のつぶやきにまでお付き合いくださり感謝申し上げます。
さて、みなさんがこのホームページを検索されたのは、神戸文化ホールやアートビレッジセンター、各区の文化センターでの催しなどを調べようとされたからではないでしょうか。みなさんにとって文化ホールや文化センターはなじみのある施設だと思います。しかし公益財団法人神戸市民文化振興財団という長ったらしい名前の方はご存じなかったかもしれません。来年で創立40年になる神戸市の外郭団体なのですが知名度の方は正直さっぱりです。とはいっても覚えてもらわなくても結構です。
たとえて言うなら私たちはテーマパークの事務所のような存在です。みなさんが競って足を運ぶのはジェットコースターのようなわくわくする遊具であって、事務所には誰も関心を持ちませんよね。しかし、みなさんが思う存分楽しめるように事務所には専門のスタッフが詰めています。また、遊具のメンテナンスや施設全体の経理のための担当者もいます。言わば私たちはテーマパークならぬホールや舞台を支える黒子集団なのです。文化芸術というと堅苦しく聞こえますが、ぜんぜんそんなことはありません。ディズニーランドやUSJに遊びに行くように各施設に気軽にお越しください。職員一同心からお待ちしております。